愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ニース旅⑤ ニースで食べたもの

ニースで食べたものを淡々と羅列するよ。

ニース南駅

以前は電車の駅だったこの建物、一時はお取り潰しの危機にあったそうですが、現在はフードコートとして再生されています。

夜に行くと、こんなプロジェクションがされていていました

色々なレストランの他カフェバーや、ちょっとした雑貨屋さんも入っています。

お肉屋さんの出店があり、思わず頼んだビーフタルタル。かなりなボリュームで、生肉でお腹がいっぱいになるという、ちょっと今までにない経験をしましたw

パパはシーフードのカナッペ的なものを注文、足りるのか?と思いきや、

どーん!とウニやエスカルゴの盛り合わせも・・・。これはさすがに同じテーブルにいたフランス人一家もチラ見してました(笑)

どこに行っても食べたいものは一貫している子供は、フランスにもしっかり上陸している「ラーメン」を(写真は無し)。

後日再度ここでいただいたランチは

クスクス(重かった)

子供は今度は、ポキボウル。

そしてパパはまたこれ。また隣の席の人にチラ見されていました(笑)

家族でも好きなものが食べられるし、レストランの開店時間を気にしたりする必要もないし、特に子供がいるとこういうフードコートはとても助かります。

lagaredusud.com

巨大イタリアン

この地域はもともとイタリア領だった時期が長かったそうで、イタリア風な食べ物もたくさんあり、ピザやイタリア料理屋さんもずいぶん充実していました。

こちらは宿の近くにあったイタリアン。通るたびに、お客さんが食べているパスタが美味しそう。結構お店が閉まる週末も開いていて、いつもお客さんでいっぱいなので、間違いないのかも、とディナーで行きました。

どーん!とフライパンのまま出てくる、トリュフのパスタ。激ウマ!これ全部食べられるか?と思ったけど、トゥルッといけてしまいました。

カルパッチョもこの通り・・。

しかし何よりこの店、ボリュームがすごい。インスタストーリーに載せたこちらの写真をご覧あれ。たらい位のお皿にどーん!とやってきます。

こちらはトマトソースのパスタだったんですが、さすがフランス、乳製品の量が半端ない。普通のトマトパスタがいいな〜とも思いましたが、これも美味しかったです。乳糖不耐症の薬はしっかり飲んで臨みましたが・・。

ニースで行ったレストラン、料理が出てくるのが遅いお店もぼちぼちあったのですが、こちらはさすがに大量のお客さんをさばき慣れている感じで、ぱっぱとタイミングよくお料理が出てきたのもとてもよかったです。

www.tripadvisor.co.uk

スイーツ

やっぱりおフランスのケーキは美しい!そしてワクワクします。とは言いつつ、そこまで甘いものが得意でもないため、お店の写真は撮っても食べずに通り過ぎるばかりでしたが、これまた宿近くにあったパティスリーのケーキも美味しかった。

レモン、バニラのムース、ベトナムチョコレートのタルト。今回の旅、前回のパリに続いて英語がよく通じることに驚く?旅だったのですが、ここでの注文は全部頑張ってフランス語で通してみました。って、挨拶から始まって、これとこれとこれをください、でカードで払いますよ、で最後にまたお別れの挨拶、みたいなめちゃくちゃ短くて基本的なものばかりですが(笑)相手もフランス語で対応してくれたので大成功大満足w 

今回は自炊もしたので、外でいただいたのはこんな感じで。

マリークワント展

V&A Museumでやっているマリークワント展がとても良かった。

デイジーのマークでおなじみのマリークワントは、私の世代にはコスメブランドのイメージが強いのだけれど、戦後、ミニスカートなど若者のファッションを生み出し、イギリスにファッションという新しい産業を作り出し、とにかくこんなに可愛くてかっこよくてワクワクする洋服の数々を作っていた、というのがすごく伝わる展示だった。今でも着てみたい!と思うドレスが沢山。

女王様に大英帝国勲章をもらった時に着ていたジャージのドレス。着心地がすごく良さそう。

美術学校を出ているけれど、ドレスメーキングについてはアマチュアだったというマリーさん。チェルシーにオープンしたお店Bazaarを開けたときは21歳というからすごいなあ。ハロッズから生地を買って、最初は自分で縫ったりしていたんだって。

初期のころのデザインは、可愛くて上品。こういうのも大好き。欲しい欲しい。

当時の値段が書いてあるのだけれど、ポンドじゃなくて、ギニー!今のお値段にしても、お安くないものも多い。

この展示のために、一般の人から昔のマリークワントの服を集めようと#wewantquantというハッシュタグを使ったキャンペーンもあったそうで、色んな人が来たマリークワントのドレスが、当時の思い出とともに展示されていたのもとても良かった。

私立校の校長秘書とか、必ずしもそんなにお給料の良い職業ではないけれど、憧れて買った服。結婚式参加のため、彼氏の両親に初めて会うため、社交界デビューのため・・色んな背景の人に、色々な理由で買われていったドレス、そしてそれを着たときどんなにワクワクしたかが書かれている。自分にはそんな思い出のドレスあるかな?

平日に行ったせいか、お客のほとんどはかなり年配のおば(あ)様達。(そのせいか?チケットを買うときに「学生さんですか?(学割あるよ)」と聞かれたww)

まさしく60年代ごろに青春を謳歌していただろう年代で、当時ブティックがあったチェルシーの映像を見ては、あそこにあれがあった、どうだったと楽しそうに話していたり、服の値段を見て、自分の初任給は70ポンドだった、そこから下宿代(食事つき)として月3ポンド払っていた、なんて話をしているので、展示も見たいけれど話も盗み聞きたいし(笑)で、つい挙動不審の耳ダンボになってしまう。

こういうファッションが載っている写真を切り抜いては、スクラップブックを作ったりしていたそう。可愛いなあ。

友達や旦那さんとビジネスを始めたマリーさん、適材適所に能力がある良い仲間がいた、というのも成功の理由だったんでしょうね、初期の映像では、彼女がデザインした服をモデルに着て歩かせ売り込むセールス担当のおじさんの様子も写っていたけれど、それを見たおばさまたちは「でもやっぱり男がビジネスを牛耳っていたのね」と厳しい視線。

イギリス発のファッションを海外にも輸出して、ある意味戦後のイギリスの産業や経済の立て直しにも貢献した、という功績もあるんだって。実はマリーって言う位なので若い頃は、フランスのブランドなのかとも思ってたこともあった位全然そんなことに注意を払っていなかった・・。

昔ながらの制服や、ビクトリア時代の服、男の子用の服など、色々なデザインからもインスピレーションを受けたものもあるけれど、それにしてもこんなに色々楽しいアイデアが沸いてくるの、すごいなあ。

ものを作り出す人は、たえず退屈に感じているものだ・・的なことを話しているマリーさんの映像も印象的だった。今の装いは退屈でつまらない、自分は未来のファッションを作りたい・・と思い切りカメラ目線で語っていた。服が変われば、メイクも変わる、というのも、化粧品開発に乗り出した理由だそうで。

これこれ。自分の中では、これが一番見慣れたマリークワント。今でもデパートのコスメカウンターは敷居が高いが、当時もやはり若い子がそういうところで化粧品を買うのは勇気がいる部分もあったようで、ナチュラルで若くてフレンドリーな売り子さん、そして手書きで化粧品の使い方を解説した漫画風のチラシがとても受けたらしい。

ベレー帽や口紅、マニキュアなどは売店でも売ってた。帽子欲しいかなと思ったけど、結構ペラペラだったので買わず。

マリークワントデザインの型紙も。編み図を買って、どこだかのお母さんが編んでくれたニットドレス、というのも展示されていた。こんなの自分で作れたら楽しいだろうなあ。

ちょうど今成人式の時期で、親が着ていた振袖を自分も着たなあ・・といった話題が友達の間であったのだけれど、マリークワントのドレスも、40年にわたって、子供や孫も着た、なんていう人のエピソードも展示の中にあった。と思えば、もう何度も着すぎて、文字通りボロボロになってしまい、とうとう捨てるしかなかった、とインタビューで話している人も。

材質的にも、振袖ほどは長持ちしないんだろうなあ、ジャージ生地とか穴あくし。そう思うと、ちと残念。

実はロンドンに来てからほとんどまったく服を買っていない。好きなデザインと体形の不一致、こういうデザインって、着たいけど、それこそツイッギーとか。野宮真貴とか、しゅっと細い人が一番似合うよなあ。

といいつつ、展示されているドレスは結構、巨大じゃね?というような大きいのも随分あったけれど・・。

このデザインに憧れる、欲しい!と心から思える服が最近無く、なんだか最近適当すぎる格好ばかりしてしまっているのだけれど、このファッションのワクワク感、いいなあ、いいなあ。

着せ替えもできちゃう、デイジーちゃん人形。

こうやって見ると、私の頃のリカちゃんって、バービーとかじゃなくて完全にこの顔だった。

これはキモノ風。そういえばマリークワントって日本にはまだショップがあるみたいだけれど、ロンドンにはもう無いみたいだし、ウェブサイトを見てもメインは完全にコスメだし、なんだか勿体ないなあ。

こういう感じの柄の服、母や祖母が着ていたなあ。80年代には70年代の服は超絶ダサく感じて、90年代には80年代のファッションがありえなすぎたのに、今になるとどの時代のファッションも戻ってきて、これも全然アリに見える。昔はなぜこの柄・・・?!と意味不明すぎたのに。

時々おしゃれなおば様がいて、ついつい見てしまう。

私が年取って、懐かしく見るのはどんな展示かな。

マリークワントの自伝も売店で売っていたけれど、何冊かあるらしい。ちょっと読んでみたいかな。それより写真集を買えばよかった。

尻出しフリル。小さいさんが赤ちゃんの頃、オムツの上にこんなのはいてたなーとか

おしゃれなドラえもん

またこんなデザインの服を出してくれればいいのに。今のマリークワントブランドのラインアップをオンラインで見て、ちょっと残念な気持ちにもなったけれど、久しぶりにワクワクするキレイなものが見れてとても良かった。

もう少し暖かくなったら、自分が買えそうなワクワクがないか、どこかにウィンドーショッピングに行かなきゃ!

おまけ:

裁縫できる人は、V&Aが解説付きで型紙を公開してるよ!

Sew your own: Mary Quant-style minidress · V&A

Sew your own: Mary Quant 'Georgie' dress · V&A

追記:

マリークワント、なんと日本の会社に買収されていたのね・・この記事では、ある意味日本人ビジネスマンに自分のブランドから追い出された的な感じで書かれているけれど・・。

www.theguardian.com

ニース旅④ニースで、高低差

ニースの街を歩いていると、ブラタモリ欲がふつふつと湧いてくるような高低差によく出会う。

ここはアルプス山脈の端っこ、あちこちにある大中小の段差の数々。

ああ、歩いていたら誰かがフリップ持って待ち構えていて欲しい・・・!

今はググれば多少色々な情報は自分で得られるけれど、そうじゃない、本当にそれを研究して突き詰めた人から直接ニースの地形と歴史について、色々話を聞いてみたい。

Google Mapsで標高出せるんだけど、ウェブに貼り付けると表示されないみたい)

シャガール美術館やマティス美術館などがある小高い場所、シミエ。お金持ちはどの国もちょっと小高いところに住むものらしく、ちょっと高級住宅街になっている。

歩いていても、これは本当に人が住んでいる家なのか、何かの歴史的施設なのかわからないような御屋敷や、ベル・エポック時代に建てられたという壮大なホテルに遭遇する。ヴィクトリア女王が宿泊したという豪華なホテル(今はオフィスビルになっている)もこのエリアにあった。

このシミエの丘に、ローマ時代の遺跡があって、ちょっとした博物館になっている。ギリシャ、ローマ人が来るずーっとずーっと前、40万年ぐらい前に原始人が住んだ跡も、このあたりで見つかっているそう。

ニースのもともとは、海沿いじゃなくて丘の上にあったのは、ちょっと意外だった。勝手に港町として海のほうから栄えていたのだという印象ばかり持っていた。

結構な街の遺構、テルマエ(ローマの銭湯)や、5000人ぐらいは入ったらしい円形劇場まであり、本当にこの小高い場所が街の中心として機能していたんだということがわかる。

劇場の跡地は子供の格好の遊び場となっているが、大昔にはここでグラディエーターが戦ったりもしたらしく、まさしくこの場所で命を落としたりしていたのだと思うと、これまたむ~ん、という感じである。いくつかゲートのようなものがあるが、これをくぐったり、競技場のど真ん中に立って見えた風景はどんなものだったか・・。

今の街の中心地が海沿いにあるので、わざわざなんでこんな不便そうなところに街を作ったんだろう、と思ってしまったのだが、高低差マップを見てみるとこんな感じである。

赤く〇を付けたところが、シミエの丘

今のニースの中心地に比べて、シミエの丘はぽっこり高台になっている。標高は大体100メートル台。東西が窪地になっているので、自然の要塞みたいな感じになっている。

博物館にあったフランス語の解説をGoogle Translateで一生懸命解読したところによると、これくらいの高さから、カンヌよりもっと先の海まで見渡すこともできたそうなので、海の防衛もばっちり。

さらに右手にはパイヨン川という川が流れていて、この谷も貿易の要だったとか。またここから内陸アルプスに行くルートもあったようで、この高台は色々と戦略的に便利な場所だったよう。

今の感覚だと、中心地から離れた不便な高台だけれど、昔は全然そんなことなかったんだな。

ちなみに丘はジュラ紀石灰岩で、周囲は沖積層で、そこが農地になっていたそう。

この他にも、フェニキア人、リグリア人やらギリシャ人の入植や交易の話など色々あったけど、とりあえず高低差の話はこんな感じでした。

おまけその1:

遺跡から出てきた、犬の足跡がついたタイル。乾く前に歩いちゃったんでしょうねえ、「あっ、こらっ!」と職人さんが怒ったかどうか。歴史に足跡を残した犬。

こちらは遺跡に住み着いているらしい猫。愛想良く寄ってきたが、じゃれようと勢いつきすぎて、私を引っ掻いた、バカな猫。

おまけその2:

パイヨン川の存在は、地図を見るまで気づきもしなかったけれど、こうやって見ると、途中で途切れていた。河口だったと思われるところが、クリスマスマーケットだ何だでウロウロしていた公園になっている。

そしてニースで有名なこの噴水も川の上に!!

プロムナードを自転車で爆走していて気付かなかったけれど、ここ、暗渠になっていたみたい。ビーチのところにちゃんと河口がありました。

というわけで、ちょっとだけバーチャルブラタモリ、おしまい。

ニース旅③シャガールとギリシャ神話

マーク・シャガールの絵はとても好きで、自分の部屋に飾っていたこともある。でもその画家本人については、なぜだかほとんど気にせず、知らなかった。フランス人のおっさんだと思っていたけれど、全然違っていた。

ニースの小高い丘に、シャガールの美術館がある。展示の数じたいは、それほど多くはない。初めて見たシャガールは、子供の頃図鑑か何かでみた「村と私」だったけれど、ここに展示されているのは主にギリシャ神話や、旧約聖書をモチーフにした宗教画的なもの。

シャガールは生粋のフランス人ではなく、ロシア生まれのユダヤ人だということをここで初めて知った。しかもベラルーシ出身の、ハシディックなのだそうだ。教会のために作った作品もあるが、旧約聖書の物語を描いたものも、ユダヤ的視点から描かれている一面もある、解説を聞きながら作品を見るとああああそういうことだったのか、と納得がいった。

赤一色、青一色の作品も、色々な濃さ明るさが重ねられている、そして一つの絵に詰め込まれた色々な聖書のシーン。絵を描くのは得意ではないけれど、なぜかふつふつと、この前に座ってこの色を模写してみたい・・という気持ちが沸いた不思議。

ギリシャ神話をモチーフにした絵画の中には、ホメロス叙事詩オデュッセイアをテーマにしたものもある。ギリシャ神話が大好きな小さいちゃんであるが、この話知ってる?と私が聞いたところでスイッチが入ってしまい、オデュッセイアのあらすじを延々と語り始めたのには、親の自分が驚いた。ついでに、この物語の登場人物に「ナウシカ」さんがいることも初めて知って驚いた。

ギリシャ神話語りが止まらなくなってしまった小さいさん。シャガールのステンドグラスと、シャガールの絵画がはめ込まれたピアノのあるホールで、延々それぞれの神様の特徴や性格を解説し続けた。ギリシャの神も、アニメのキャラも、子供にとってはワクワクは変わらない。

この後も、街中にローマ数字で刻印されている建物の建立年(MDCLで1650と読むとか、わからん!)を解読して教えてくれたり、別に訪れた美術館にあったタペストリーや絵画も、神話のどのシーンを描いたもので、これはどの神様なのかを瞬時に読み取って教えてくれた。こうやってみると、ギリシャローマ神話が芸術に与えている影響って、改めてすごいなあと子供を通じて再認識する。

そして子供、親も気づかない間に知識をどんどん吸収していたのだなあ。夢中になれる何かがあるのは、本当に喜ばしい。ここで得た世界やワクワクを、さらに何かに広げていく手助け、どうやったらできるかなあ、などと思いを巡らせた。

ニース旅②坊主のチーズ、海、プロムナード

大きいちゃんは週末や旅行になると、朝早く起きてジョギングに行く。朝まだ静かな知らない街を走るのはそれは楽しいらしい。私も昔は一緒に走っていたものだが、子供が生まれてからというもの、骨盤や関節の感覚がどうも昔と変わってしまい、長距離走れなくなってしまった。と言い訳をしつつもう9年もたっているのですが。朝早くさっぱりした顔で戻ってくるのは、羨ましくも妬ましくもあり、しかし眠くもあり、どうせ子供が寝ているのでどちらかは留守番をしなくてはならないし・・と、体の重さと運動不足と言い訳は積もっていくのだった。

ジョギングついでに大きいちゃんは朝食用のパンも調達する。流石にクロワッサンも、パン・オ・ショコラもパリッとしていて美味しい。大きいちゃんはフランス語でオーダーしようと頑張ったようだが、あまりにたどたどしかったのか、相手のほうがハイハイ、と英語でさっさと対応してくれたそうな。パン・オ・ショコラをチョコレートクロワッサンと呼んで訂正もされたそう(笑)

~ちょっと少女漫画かアイドルのようにキメている坊さんパッケージの、ちょっぴり臭うチーズと共に~

ニースの街は大きく見えて随分コンパクトなので、地図では遠くに見えても、結構歩いて行けるところが多い。とにかく風光明媚なので、歩いても歩いても気分が良くなることしかない。


高台から見下ろせる海、背後に迫るちょっとした山。冷たい海風もなく、ただ静かに広がる地中海と、建物の隙間から顔を出す、ちょっとした緑の山。水と緑の組み合わせは、とても良い。子供の頃から殺伐とした平たい関東平野が苦手で仕方が無かったのだけれど、こういう地形はなぜかとても安心する。

歩いているとどんどん温かくなり、着込んでいたコートもマフラーも邪魔になる。太陽にあたると気分もウキウキしてくる。色々な言葉で話している観光客の皆さんも、ワイワイと楽しそう。お日様一つでこんなに人間変わるものか、ということをヨーロッパに来てからひしひしと感じる。人が太古の時代から太陽を拝むのも当然だなあ。


そのまま歩いてプロムナード・デ・ザングレへ。海岸沿いに7キロほどあるこの遊歩道は、イギリス人の遊歩道、という名前がついている。ニースがフランス領になる前から、イギリス人がバカンスによく訪れていたらしい。さもありなん。冬のニースは寒い寒いクソ寒くて薄暗いイギリスに比べたら、全くの天国。

この遊歩道は、2016年にトラックが群衆に突っ込んで80人以上が亡くなった、テロの現場でもある。あまりそのことは考えないようにして、子供にもその話はしなかったけれど、こんな美しい風景の中であんな凄惨なことが起きたと思うと、そしてそれを知ってか知らぬか、同じ場所をまた人々が楽し気に歩いているのを見ると、なんとも言えない気持ちになる。

事件を受けて、プロムナード沿いには車が入ってこないようにするバリケードというか、車止めが並ぶようになったらしい。ボタンを押すと、にゅっと出てきたり引っ込んだりする仕組みになっていた。見る限り、メモリアルのようなものは目にしなかった・・と思う。

家族で自転車やキックスクーターを借りて、このプロムナードを1時間ほど走ったのはとても楽しかった。ところどころにあるオブジェ、ベンチにのんびり座る人々、ストリートミュージシャンの演奏するジャズ、そんな風景がどんどん飛んでいくこの感じは、写真やビデオに撮らなくても、ずっと忘れないだろうなあ。

プロムナード近くにある市場、の近くにある適当なお店で適当なランチ。ソッカと、ニースで食べるニース風サラダ。ゆで卵とか、ツナ、トマト、アンチョビのドレッシングなどがお決まりの具。間違いの無い味。

お店のウェイターのお兄ちゃんはとても丁寧な人だったけれど、ボスだかオーナーはお客さんと目を合わせない感じの人で、メニューも持ってこないので自分で取りに行った。サービスも随分ゆっくりで、どのテーブルもオーダーを取りに来るのも、料理が来るのも随分のんびりしていた。これが南仏のペースなんだろうか、と思っていたら、外の席に座っていたフランス人の子連れのお母さんが、ものすごい剣幕で店内に怒鳴り込んできて、オーナーと言い合いになっていた。ウェイターのお兄ちゃんが後で食べ物がなかなか来ないのを謝りに来たが、さっきのお客さんもサービスがあまりに遅いのに怒っていたらしい。

どうも問題のあるお店は、店員と目が合いづらい。真っすぐ前しか見てなかったり、周囲の目配り気配りが足りないので、フォローがうまくいかないんでしょうかね。他のお客さんが食べていた料理も美味しそうだったし、普通に美味しいお店だったんだけれど、残念。