愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

我が家の怪奇現象レモンの木が

聞いてくれ・・ちょっと不思議なことが起きたんだ・・・

これ、6年ほど前に引越し祝いとして友達からもらったレモンの木の鉢植え

こうやってたくさんの花が咲いたあとは、たくさんの実をつけてくれていた

全部が全部大きくなるわけではないんだけれど、こんな感じで

マイヤーレモンと言う種類で、色、形、大きさはこんな感じ。本当に普通のレモン

こんな感じでレシ記事の写真でも活用してみたり

それが・・・今年は何か様子がおかしい。



・・・なんか・・・でかくね?

栄養が行き届きすぎたのか?

これが我が家のレモンの木の全体像。見にくいけれど、右側と左側に枝分かれしている。右側よりも左側の枝が発育しまくり、大きな実をつけている。

右側がもともとはメインの幹っぽかったのだが、何年か前に留守にした時に隣のおばさんに水やりを頼んでいたら、気を利かせたつもりで枝を剪定してくれて、それ以来右側は育ちが悪くなってしまったのだった。

そして、今まで下の方がピンク色がかっている花が咲いていたのに、今年になって左側だけ真っ白な花が咲くようになった。

そして成った実がこれ!!

質感、匂いともレモンと違う。右が、最後になったレモン。左が謎の巨大果物。

これはもしかして・・・

ポ・メ・ロ?

白い花もポメロっぽい。

切ってみたら・・・ワタばかり。

私の周りには色々物知り友人がいるのだが、彼女によるとそれは継木によるものではないかという。

おお、確かに色々出てきた

www.sacbee.com
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こういうレモンの木、病気や寒さに強くするために、ポメロに継木させたりしてあるらしい。そしてマイヤーレモンそのものも、ポメロとシトロンと言う果物を掛け合わせて作ったものだとか。

レモンの木に戻すためには、ちゃんとポメロの部分を剪定しないといけないみたい!大変!この木、すでにポメロに占拠されているかもしれない・・・!

ガーデニング関係全く苦手な私。会社でもらったエアプランツさえ枯らしたことがある究極のプラントキラー・・こんなことになるとは、とほほ。

しかしポメロの方が買うとずいぶん高いと言う話も聞くので、逆に高級フルーツを生産する木になって良かったのかどうか・・?

本当のダウントンアビーの話

以前はまりまくってものすごい勢いで見てしまったダウントン・アビー

このドラマが撮影されたのはハイクレア・キャッスルと言う実在のお城。カーナーヴォン伯爵と言う本当の貴族がそこで暮らし、まさしくダウントン・アビーの時代、ダウントン・アビーらしい暮らしが繰り広げられていたわけで、そんな当時のことが書かれた本を図書館で掴んで読んでみた。


ダウントン・アビーの時代を生きた、5代目伯爵夫人、アルミナさんのことが中心に書かれている。

この由緒正しい貴族に嫁いだアルミナさんは、フランス人を母に、そしてイギリスの大富豪銀行家のアルフレッド・ド・ロスチャイルドを父に持つ女性。ただし両親は結婚しておらず、名目上アルフレッドは「ゴッドファーザー」と言うことになっていたと言うから、立場的にはちょっと日陰の存在であった。

でもそこはスーパー金持ちのパパを持つ身。正式な娘ではなかったけれど、ずいぶんと可愛がれ、お金も十分に注がれ、明るく育ったらしい。カーナーヴォン家に嫁いだことで立場も安定し、パパがどんどん出してくれるお金と、天性の性格で持って、かなりバイタリティ溢れる活躍をしている。

当時の貴族、もちろん素敵なドレスを着てお茶を飲んだりパーティーをしたり・・という生活をしていたのはまちがいないけれど、何軒も邸宅を持ち、そこで働くスタッフを管理し、城の管理をし・・・とやることはたくさん。パーティーを主催する一言で言っても、その趣向から規模から、普通の飲み会の幹事だって疲れるのに、それとは何百倍もケタ外れな社交イベントを毎回オーガナイズしなければならない。

アルミナさんはその点非常に長けていたようで、王様が遊びに来た時もものすごいお金をかけて部屋を改装し、ものすごいご馳走を出し、臨時列車を出させ、そして各駅の駅長やスタッフにも贈り物をするなどずいぶん抜かりない。

ただただエレガントにおほほ、と言っているだけでは務まらない、プロジェクト管理能力、社交力、ファッションなどの美的センス・・・いろんなことが要求される世界なのだなぁと言うことを今更ながら再認識した。

そして下階の人々の話。少数のお金持ちの生活のために大勢の人達が、住み込みでかなり大変な仕事をしていたわけだけれど、上階(貴族)の人達が豪奢な暮らしをするには下階(召使)無しには不可能だし、下階の人達はそれで生計が成り立っているわけで、なんとも不思議な共生がそこにある。

実際のところ、誰が伯爵夫人になろうが、大きな目的はこの家を回すことであり、貴族も召使も、皆にそれぞれ義務があり、歯車の一部になっている感じでもある。どっちもまあ、楽ではなさそう。

それでもこのお城は、当時としては結構ホワイト企業だったようで、労働条件などについても色々配慮はあったり、主人と召使という線引きの中にも温かい関係はあったらしい。

アルミナさんの人生のハイライトは、病気がちだった夫の世話をしているうちに、看護の才能に目覚めた彼女が、第一次大戦中、このお城を傷痍軍人のための病院として解放し、自らも看護にあたったり、さらに病院経営に大きく乗り出したりしたことで、この本もその部分に大きな焦点を当てている。

ただ社交や自分たちの「荘園」の経営だけを考えていれば良かった「古き良き」時代は過ぎ、近代化や戦争の波に、貴族の生活も影響を受けていく。

当時はまだ国民保険などもない時代、一般の人達が行ける病院などもそうあるわけではなく、そういう施設は、それこそこういうお金が有り余っている貴族が篤志家的活動の一環としてやることが、普通であったらしい。

ドラマ、ダウントン・アビーでも、屋敷を病院代わりに解放するエピソードがある。史実に基づく話だったわけだ。そういえば、ロンドン近郊のブライトンにある宮殿を見に行った時も、第一次大戦当時、インド人の傷痍兵のためにそこが解放された歴史の展示があったっけ。

お金持ちのロスチャイルドパパが、言われるがままにポンポンとお金を出してくれ、戦場で傷ついた兵士たちにはまるで夢の国のような療養の場を作りだしたアルミナさん。

単に「経営者」として君臨するだけでなく、実際の看護に当たったり、入院してきた兵士の家族に電報を打ったり、この病院で亡くなった兵士の葬式に自らも参列したり・・と、かなり実地的で心のこもった活動をしていたらしい。

同時に、この本では第一次大戦がどれだけ悲惨なものだったか、まだ医療技術もそこまで進歩していない当時、銃弾にあたり何週間もかけて帰国し、せっかくこの病院で回復しても、また別の戦場に送られて死んでしまう兵士の話、毒ガスの利用など近代戦の悲惨さ、終わりの見えない戦局への肉体的精神的疲弊なども淡々とではあるが書かれていて、読んでいるだけでぐったりした。しかしその20年後にはまた戦争を始めてしまうのだから、人間は本当に過去から何も学ばないものなんだろうか、と絶望的にもなる。

図書館の本には時に色々書き込みがあったりするものだが、この本も例外にもれず。いろんなところに線を引いたり、文章の校正をしているかと思えば、「戦争は何も解決しない」という感想だかメッセージともつかないようなことが書かれていた・・・

この他にも、ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターに長年援助をしていたのはアルミナの夫である5代目カーナーヴォン卿。彼は墓発見直後にエジプトで急死して、「ツタンカーメンの呪い」ではないかと話題になってしまった人でもある。

亡くなり方はアレだったけれども、このような活動に資金援助をするのも、当時の貴族の「仕事」といえばそうだったのだろうなぁ。

さてこの本、著者は8代目カーナーヴォン伯爵夫人。イギリス人が書いた本は小難しい言葉が使われていて読みにくいことが時々あるけれど、彼女の筆致はとてもシンプルでスッキリとわかりやすくて、300ページほどあるけれどずいぶんサクサクと読めた。

彼女、結婚する前はプライスウォーターハウスクーパーズの会計士だったそう(!)。この他にもお城の歴史をまとめた本を何冊か出していたり、ブログもあってちゃんとコメントに返信までしてくれている。きっと調べたり書いたりするのが好きなのかも。

この本でも、ちょっとサービスなのか、唐突に入院患者の中に実際にいた、杖をついた患者ミスター・ベイツのことや、クローリーと言う苗字の患者のことなど、ドラマの登場人物と同じ名前の人のエピソードが織り込まれたりもしていた。

ダウントン・アビーの世界でも、労働党の台頭や、第一次大戦、そしてその後せまり来る大恐慌・・と、古い貴族の世界もどんどん戦争や近代の潮流に合わせて生き残らなければいけない状況の入り口に差し掛かっていたけれど、今のハイクレア・キャッスルも、年間維持費だけで1億6000万円かかるそうで、資金繰りはなかなか大変そう。カビだ何だでボロボロになった部屋を改築するだけでも、2億円かかったそうで・・・(ボロボロぶりはこちら)。

そんな中生き残りのため、先代の伯爵がこの場所をイングリッシュ・ヘリテージ(世界遺産のイギリス版みたいなものか)に登録して一般解放したり、ダウントン・アビー撮影ロケ地となる前から、スタンリー・キューブリックの「アイズワイドシャット」などの映画の撮影場所として提供したり、色々頑張ってきた模様。この本も、15万部のベストセラーになったというからなかなかどうして。

ハイクレア・キャッスル、結婚式場としても貸し出しているらしいですよ。解放日は夏の間だけのようなので、ぜひ引越し後に行ってみたいかも。

引越し業者選定。日系業者は色々すごかった。

引っ越すに当たってまずやらないといけないのが、引越し業者を選ぶこと。10社ぐらいに見積もりを頼んだ。

アメリカの業者は、持っていくものを申告すると、あー多分これくらいのコンテナが必要で、値段はこれくらいっすかねーと全部メールでのやりとりだったが、日系の引越し業者にも問い合わせてみたら、わざわざ担当者の人が家まで来てくれた。

名刺をいただいたり、かしこまった日本のサービスを受けるのは久しぶりだったので、なかなか面白い経験だった。

まず分厚い「引越しのしおり」的なものをいただき、引越しの手順を20分ぐらいかけて説明してくれる。しおりに書かれた内容に沿って、必要な書類、持って行っていいもの、いけないもの、などなど・・。

特に食品の持ち込みは厳しいらしく、なるべく持っていかない方向でいる方が良いとか。「ロンドンで日本の食料品が手に入るところ」リストまでご丁寧に入っていた。実際、食生活が心配になって米やら何やら荷物に入れていく人は多いのかもしれない。

さらに、税関の申請は引越し会社がやってくれるが、イギリスの税関がその受理番号を陳家宛に送ってくるので、その番号を受け取ったら即時に引越し会社の方に伝えて欲しい、ということを、フローチャート付きで入念に教えてくれた。

まあ、番号が来たら連絡すればいいだけの話だよな・・と思ったが、なぜそういうことになるのか、手続きの根本のところからじっくり説明していただき、それ要る情報か?と思いつつも勉強になった。

引越し当日業者が来る時の荷物の仕分け、いるものといらないもののラベル分けのことまでこと細かに教えていただき、あとは家の中をざっと見てもらい、1時間弱の見積もり完了。

なんだかすごい。まだ契約を結ぶかもわからない時点で、これだけじっくり色々教えていただけるとは。プリントに沿って一つ一つ説明してくれる様は、とても久しぶりに日本の学校に戻ったような気持ちになった。

おかげでもう1社、別の日系の業者に来てもらった時には、特に質問することも無くなっていた。

同じ日系企業でも、2件目の業者はもうちょっとゆるかった。必要書類のリストはここに書いてありますのでー、と大事なところだけかいつまんで説明してくれる。見積もりも「ロンドンですかーあっちは家が狭いしご飯がまずいし大変だ」などとおしゃべりしながらチャチャっと、滞在時間はものの15分ぐらいだった。

とにかく1社目の懇切丁寧な説明には、これがおもてなしの国、お客様は神様です、クールジャパンな国のサービスクオリティなのか!!とかなり面食らってしまった。

我が家に来てもらう時間、説明する時間など合わせると2時間強はかかっている。しおりも立派な印刷物なのでお金がかかっている。教えていただいた情報も、多分契約が決まってから教えてもらうか、別に客がそこまで知らなくてもいいんじゃないかなー、というものも多い。

これもきめ細やかなサービス、なのかもしれないけど、客としてはなんとなく過剰サービスな気もしてしまう。そして担当者の人働きすぎなんじゃないだろうか、実際契約に漕ぎ付ける案件とコストや時間は釣り合ってるんだろうか、などど逆に色々なことが心配になってきてしまった。

その点2社目は、担当の方も多分こっちの生活が長いんじゃないだろうか、そこら辺は非常に要領がよろしく、見積もりは必要最低限の時間で済んだのはちょっと面白かった。ビジネス的には、非常に効率的にやってらっしゃるな、正解!という印象だった。

で、結局イギリスの引越し会社にお願いすることにした。ここの会社は、ビデオチャットを使って、携帯で家の中を見せながら見積もりしてくれた。イギリスに本拠地があるとちょっと安心だし、料金も良心的だったので。

日系のサービスもどんなものだか気になったが、なんとイギリスやアメリカの引越し業者と比べて、日系の業者は相場より2−3倍も高かったのだった!!!

しかもイギリスの業者はこのお値段で梱包も全部やってくれるという。日系の見積もりは、皿以外は自分で梱包して、しかも大きな家具は電子ピアノぐらいしかないのにその3倍?!ムリムリムリ〜予算オーバーですぅ〜ということで残念ながらお断り。

多分、駐在さん対象のサービスで、引越し代も会社が何も考えずにポーンと出してくれる場合が多いのかもしれない。

・・あ、でもうち駐在さんじゃなかったわw 

まあ英語がわからないわけでもないので、どうしても日系の業者である必要はなかったけれど、もうこれしかチョイスがないんだとしたらずいぶん足元見られてる強気の価格設定。いやきっと何かすごい丁寧な梱包、運搬が期待できるのか・・?

イギリスのサービスもどんなもんだかまだはっきりわからないが、とりあえず持っていくものは服と本とピアノぐらい、あとは処分して身軽に行く我が家、とりあえず荷物は少ないし、まあ届けばいいんじゃね?というスタンスでのぞみます。お雛様だけちょっと心配だけど・・こればかりはあちらに着いてからのお楽しみ。

というわけで、今回思ったことは

  • 日本のサービスは素晴らしいが時に「その情報、いる?」というものも多い。
  • そういった意味ではささっと見積もりして、日本人相手に相場の3倍で引越しを引き受ける2社目はビジネス的にはずいぶん勝ち組w
  • やっぱり英語は勉強しておいた方が引越し業者一つとっても、お値段的にもオプション的にも色々世界が広がってお得かも・・

ってとこらへんだろうか。

ちなみにイギリス英語では引越し業者のことをremovals company という。リムーバルって、なんだか排除されるみたいでちょっとイヤだw

本を捨てる。町中にある可愛い無料ライブラリー

ロンドンに引っ越すことになった陳家。この1ヶ月は引越しネタでわたわたしそうです。

ロンドンに引越しなんて素敵!とよく言われるし、実際色々楽しみなことも多い。が、今現在のところは楽しみなフェーズはとっくに過ぎて、、向き合わなければいけない様々な現実に、かなり気持ちはささくれ立っています。

海外引越しの悩みどころは本当に色々あるんですが、まずとりあえずは前も書きましたが断捨離。アメリカの家とイギリスの家のサイズ感の違い、収納の違いは遠隔での家探しでも嫌というほど実感中。何しろ60~70平米で2ベッドルームとか普通にあります(しかもまだ家が見つからないのが超ストレス)。

まだまだ売ったり処分したり寄付したりと、引越しに向けてのダウンサイズがなかなか終わらないのもとってもストレスなんですが・・、とりあえず、もう読まない本、特に大量の子供の本は、近所をぐるぐる回って、こんな感じところに「放置」して行きました。

これ、島中にある、手作りの無料図書館。

誰かの家の前にあったり、公園などの公共の場所に設置されたりしています。

いらなくなった本はここに入れておけば、誰か読みたい人が持って行き、読み終わったらまたそこに返したり、新しい本を入れていったり。

ここ数ヶ月の間、島の至る所にあるこの小さな図書館に、我が家の不要な本を入れ回っているのですが、翌日通りかかるともう誰かが持って行っていたりして、ちょっと嬉しい。誰かが興味を持ってくれたんだなとわかるだけで、ニヤニヤしてしまう。

このライブラリー、誰でも設置することができます。

Librarieslittlefreelibrary.myshopify.com

こんなキットも販売されていますが↑、自分で作って立てたお宅もあったりします。デザインも家によって色々なのも楽しい。

Little Free Library World Map - Little Free Library

この地図でどこに設置されているかも確認できますが、実際ここに載っていないライブラリーも近所にたくさんあるので、実際の数はこれだけではないはず。

世界中で広がっているこの動き、日本でも本当に少しですが設置されているみたいです。捨てられることなく、どこかで誰かに読まれている我が家の本。日の目をまた見ることができて嬉しい限り。

この小さな無料図書館、いつか自分の家の前にも建ててみたいなぁ・・。



・・などとちょっと「ほっこり」系(苦笑、実はほっこり、キライな言葉じゃ!)な感じで書きましたが、うおおおお引越し終わらないんじゃああ家も学校も決まらない!!!一体これからどうなるんじゃああ!!うがあああああ!!!!

岸恵子、お巴里と離婚の本

アメリカの図書館にある日本語の本を適当に掴んで読むシリーズ。

 

アメリカの図書館にある日本語の本は、地元の日本人が寄付したものが置いてあることも多いので、海外生活や国際結婚についての本が結構な割合である。前回紹介した本も多分そんな感じで長い間ここに置かれていたんだと思う。

 

今回も掴んだ本は、国際離婚のぼやきやら、海外生活をしている人にありがちな、ああ私はさすらう日本人、的な高揚感や感傷やらが書き散らされたエッセイであった。

 

書いたのは女優の岸恵子

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 特定の年齢層には「君の名は」のマチ子さん。大女優であらせられるが、私の年代だと髪の毛がいつも外巻きにパーマになってた人、位の印象しかない。

 

フランス人の映画監督と結婚しパリに住み、日本とパリを行ったり来たりの生活をされているらしいが、夫が浮気して離婚。そこら辺のことも色々書いてあったが、やはり場所がパリ、相手は映画監督、自分も日本じゃ大女優。なので出てくる固有名詞や環境が豪華でオシャレに聞こえるボーナス付き。前回読んだ80年代ニューヨークのモラハラ変態夫との離婚話と比べると、ニューヨークの話が余計に気の毒に思えてくるのだった。

 

何せ御本人もテンパーメンタルな女優なので、その言動もちょっとプリマドンナだし映画のオファーを受けた話だの、彼女に言い寄ってくる男性の話だの、実際どこまで心を通わせたかはわからないが邂逅したフランスの有名人の話だの、お、おお、そうですか・・・!と思わせるような話もたっぷり。

 

まだ日本人が海外渡航が容易ではない時代にフランスに渡り、日本人も少なかったパリにもで孤軍奮闘した気負いもきっとあるのかなぁ、フランスや自分のバカンス先にやってくる日本人観光客のディスりも所々に入っており、逆に時代だな〜とも思ったり。

 

 日本で女優として培ったものを置き、パリにやってきた彼女。ヨーロッパでも仕事のオファーがあるのにそれはなぜか断り、日本での仕事にこだわる。一方日本人女優を妻に持ったものの、あまり彼女の文化に寄り添う感じではない夫。そんな夫にフラストレーションがたまると、言葉は通じないのに、啖呵と言うか、何かの口上のような芝居がかった日本語を酔ったように浴びせかける彼女。

 

そういうあたりの心の荒れ模様は良いとして、時に荒れるに任せて心のままに書かれるちょっと陶酔的な文章はうぅ、うぅぅ、でもまあこういうのもパリ在住の女優が書くと許されるのかなぁと思ったり。でもそういうのも合わせて、当時の読者は色々興味を持ったんだろうか。手に取った本は版を重ねたものだった。

 

巴里の空はあかね雲 (新潮文庫)

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