愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ホームシック

桜の季節もあっという間に過ぎたけれど、先日までTwitterFacebookも日本からの満開の桜の写真で埋まっていた。

そして誰かがリツイしたこんなツイートも上がってきた。

うんうん、そうだよね・・と思いたいところだったが、ふと気がついた、最近和食も恋しくなければ、桜を見ても春は花粉症が酷かったせいか、写真を見ただけで鼻がムズムズするばかりでたいして感慨もない不思議。

こ、これはもしかしてまだまだ若い頃を振り返って心地よくなる年齢じゃあないってことなのかしらん・・・!!今まさに青春真っ最中でぶいぶい言わせてるってことなのかしらん・・・!!

・・と偉そうに思ったが、まさかそういうわけでもなく、どうも自分の郷愁感度が著しく低いだけのようである。アメリカ在住20年になるが、実はホームシックにかかったことが1度も無いことに気がついた。特に日本に対して思い入れが無い、という訳では無く、過去に対する思い入れ自体が少ないみたいである。

長年住んだワシントンから西海岸に引っ越して来た時も何の感慨もなく引っ越してきたし、あれだけ大好きだと思っていたニューヨークのことも今ではすっかりケロッと忘れてしまって、ほとんど足を運ばなくなってしまった。何だかんだ言って、どこに行っても住めば都のようである。そういうところが鈍感だからずっとヘラヘラと外国暮らしが続いているのかもしれない。

・・・と偉そうに思ったが、結局のところ、日本も東海岸も、実際にしょっちゅう行くかどうかは別として、「行こうと思えばいつでも行ける」場所だから、悲壮感漂うほどの郷愁も何もこみ上げてこないのかもしれない。亭主元気で留守がいい、的な。これで日本が鎖国しちゃったとか戦争が始まって渡航できなくなったとかでアクセス不可能になった時はさすがにホームシックになるかもしれない。

食べ物に関してもどうやらそのようだ。米と味噌汁はあればそれは嬉しいが、なければ無いであまり気にもならない。

・・・と偉そうに思ったが、それもまた、流通と食文化の多様性があるこの場所にいて、日本食は「手に入れようと思えばいつでも入る」ものだから、安心してつい他の国の料理ばかり作ったり食べたりしているのかもしれない。

以前はちょっとした海外旅行にもインスタントの米や味噌汁を持ち歩く人を、どんだけ堪え性無いねん、と多少冷ややかな目で見ていたものである。しかし昨年ギリシャに行き、右を見ても左を見ても手に入るのはギリシャ料理だけ、気分を変えたきゃイタリアン・・という環境の中で風邪を引いた時、生まれて初めて「誰か、米・・・米と醤油を・・」と日本食シックに陥ってしまい、自分でも愕然としてしまった。

もうそうなると寝ても覚めても考えるのはほかほか白ご飯、そしてUMAMIたっぷりの醤油の塩気のことばかり。しかし街に溢れているのはオレガノとレモンとオリーブオイルの香りばかりでげんなりする。市場ツアーに行って売っている野菜や肉の調理方法を聞いても、「たっぷりのオリーブオイルにオレガノをちょっとかける」「レモンとオリーブオイルだね」「オレガノをまぶして焼くといい」。売っているポテトチップさえオレガノ味・・ああ・・・。

魚の照り焼き(醤油)、ほうれん草のおひたし(醤油)、冷奴(醤油)が一気に出てきても全部違う味だと認識するのに、レモンとオリーブオイルとオレガノで調理した様々なギリシャ料理がどんどん単調で同じようなものに思えてきた時、ああ、自分は単に多様性と選択の自由がある贅沢な環境の中で安心して生活していただけだったのかもな、とふと思ったのであった。

特にここサンフランシスコ・ベイエリアなぞは、日本のものもかなり手に入りやすく、シリコンバレーだ何だという土地柄か面白い日本人の友達もいて、ある意味日本社会の嫌なところを排除した日本の生活も楽しめる環境も整っているときたものだ。あんまりホームシックになる要素が無いといえば無いのかもしれない。

さていずれは自分もこういった現在や過去に郷愁を感じる時が来るのであろうか。風邪を引いた時に日本食シックになったことを考えると、元気なうちは大丈夫なのかもしれない。でも年をとって色々弱気になった時、その時浮かぶ風景は一体どこになるのやら・・・。

おまけ。日本人旅行者と米醤油問題については、以前こんな記事をnoteに書きました。

note.mu