愉快的陳家@阿拉米達島

ちょっと雑だが愉快な暮らし。サンフランシスコ・ベイエリア日記

1年ぶりの日本

祖母が亡くなり、1年ぶりに急遽日本に帰国していました。大阪の家を引き払い、祖父母が実家の両親と同居し始めてもう10年ちょっと。祖父も10年前に亡くなり、今回祖母は97歳で亡くなりました。大往生といえばそうだったけれど、戦時中に青春時代を過ごし、80過ぎまで祖父の介護をしたりと、必ずしものんびり楽しい人生とはいえなかったかもしれません。

初孫の私は随分かわいがってもらい、毎年大阪で夏を過ごすのが楽しみでした。家の中ではおじいさんとヤイヤイ大阪弁で言い合っていても、外から電話がかかってくれば5オクターブぐらい上の上品声で応対する外面の良さ(笑)、ちょっと何か冗談を言いながら人の足をぎゅっと踏んだりするお茶目さ、そして2人でコソコソと外で美味しいものを食べたりお買い物したり・・、と子供時代の楽しかった思い出が、堰を切ったように蘇ってきて、数週間たった今でもかなり「ババロス」です。

80代になってから関東地方に越してきましたが、お葬式は満席になるほど人が来てくれました。そとづら良し子は最後まで健在だった模様。私の祖父母はこれで全て亡くなってしまいましたが、ここ数年は入退院を繰り返しながらも「私は死ぬ気がしない」と言っていて、本当にいつまでもそこにいてくれるとなんとなく思っていた自分が腹ただしくもあり。

でもお葬式で娘や甥っ子達の声を聞きながら、こうやって次の世代に引き継がれていっているんだなあ・・・と時差ボケの頭でぼんやり過ごした10日間でした。週末をはさみ台風が2回来た週でもあり、都内にも出ず近所をウロウロするのみでしたので、お友達にも今回は連絡せず、誰にもあわずじまいでした。

喜ばしきことがあったとすれば、今回パパ抜きで私と小さいさんだけで行ったため、子供の日本語が格段に上達したことでしょうか。今までも週に1度は2時間だけですが日本語のクラスにかよっていたり、プリキュアにハマりまくったりしてはいたのですが、そういうところから吸収してきた全てのものが、日本に行ったことでストン!と自分の中で落ち着いたようで、ほぼ日本語で通していたのには本当に驚きました。

前回同様、日本雑感も書きます。