愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

 神々の遊びを見に行った。


アメリカにいて嬉しいこと。それは日本ではあまりに遠くの夢のような世界だったことが、意外と近くなること。アコガレの海外アーティストの来日を待たずしてもコンサートにいけちゃうし(当たり前か)、意外とその箱が小さくて、武道館やドームみたいな会場で、豆粒みたいな姿を遠くに見ながら、ひたすらモニターの姿を追う・・ということをしなくても良かったりする。でもまさか、アコガレの日本アーティストが、しかももう人生の中で生で見ることなんて無いだろうと思っていた人達が、サンフランシスコにやってくるとは・・・・!


そう、イエロー・マジック・オーケストラ!!!


私はYMO世代からはちょっと外れていて、散開したときは小学校低学年。運動会の時のクラス対抗リレーでライディーンがかかっていたのと、これはつい先日知ったのだけれど、日本フォークダンス連盟公認だという振り付けで、体育の時間にこれまたライディーンを踊ったぐらいの記憶しかなく、当時の活躍は全く知らない。しかし中学生になって、年上のお兄ちゃんがいた男の子がYMOとその周辺の音楽を持ち込んだことであっという間にクラス中に広がり、休み時間になるとみんなが寄ってたかってオルガンで戦メリを練習しはじめるという事態にまでなったのだった。


YMOをベースにサディスティック・ミカ・バンドだ、矢野顕子だ、ティンパンアレーだはっぴいえんどだと芋づる式に聴き始めたため、若いときに聞いていた音楽が古すぎると年齢詐称疑惑が出たことも(笑)もう存在しないバンドの音楽ばかり聴いていた多感な時期。私は息子が生まれたらハリー・晴臣と名づけようかと真剣に思っていたほど細野さんが大大好きで、当時細野さんが出したOmni Sightseeing というちょっとワールド系アルバムを毎晩聴いては、まだ見ぬ遠い世界や自分の未来にわくわくしていたものであった。幸宏さんの似顔絵を書いたり休み時間になると熱くキーボードを弾く真似やドラムをたたく真似(?!)をしていたS君、果たして元気なんだろうか。あの時はすばらしいモノを教えてくれて本当にアリガトウ。


会場は、Union Square近くのちょっとキタナイちゃん達がうろうろしているエリアにあるWarfieldというホール。なんでも昔ダンスホールだったらしい、古めで小さめの会場。Snoop Dogとか、ヒップホップ系の人達が来たりもするらしい。以前教授が来たときもそんな感じの会場だったけれど、後ろにバーがあって、座席もパイプ椅子を並べたような感じで、ディナーショーもできそうな雰囲気。私達の席は一階席の後ろのほうで、バーにも近く踊ったりハングアウトするのに十分なスペースもありつつ、ステージまでも15メートルぐらいといい感じ。チケット取ってくれたKちゃん、ありがとう。


オーディエンスは、教授のソロコンサートのときにはベイエリア中の猫背な中年日本人が一同に集まった感があったが、こちらもやはり中年日本人が主流。でもちょっと普段見ないようなチョイ悪オシャレ親父風な人達や(日本やベイエリアの外から来た人もいたみたい)、若いアメリカ人もぽつぽつと。日本人の中にもライディーンぐらいしか知らんけどせっかくだから、という感じの若めの人達もいた(スネークマンショーと混同してる人まで!爆)。でもちょっと驚いたのが、かなり禿げ上がってよぼっとした感じのおっさんとか、中西部の田舎から来たとしか思えないおばさんとか、不思議なアメリカ人中年もぽろぽろといたこと。いったい彼らはどこでYMOを知ったんだろう。それこそ80年代、今はない髪の毛をテクノカットにして、ピコピコ聴いていたんだろうか。謎・・・・。


前座はPrefuse73。Scott Herrenによるエレクトロニカ・ヒップホッププロジェクト、だそうだが、ずーっと二人がかりで猫背で機材をいじくっていて、中年の耳にはちょっとキツイ内容。1時間ぐらいそれが続いて、会場に来ている人達のTweetをみると「まだ終わらん」「いつまで続くのだ」系の発言多数。あんまりきれいな空気の会場で、椅子に座ってかしこまって聴く音楽ではないですね。途中でつーんとマリファナのにおいがしてそれらしくなりましたが、それも一瞬の出来事でありました。


で、YMOの演奏ですが・・・・あまりもう細かいレポートをする気にもなれない。とにかく感無量。夢みたい。ちと耳が弱いので、大音量で耳が痛くなるけど、あのYMOの3人が直接出す音で耳を痛めつけられていると思うとなんだかもう泣きそうに。演奏リストもオンラインに載ってますが、往年のファンにはたまらない大サービスな選曲でした。特にYMOの日本語ボーカルが入った曲が大好きだったので、細野さんが歌うLotus Love、さらにOngakuまで聴けるなんて、昇天するかと思った。あとは京城音楽の幸宏さんのドラム、さらにはTaisoで教授の痙攣ダンスまで。千のナイフ小山田圭吾のギターも格好良かった。自分の中では伝説な人達が集まって、懐かしく、そしてすっごい格好いいことを目の前でやっていて、その音の渦の中に自分が包まれているなんて・・・神々の遊びを見ているようだ・・・・これから先人生にもっといいことなんてあるんだろうか・・・と思えるような夢のような時間でした。


オンラインに載っているライブレポートでは、中年の野太い歓声がとどろき、と書かれていたけれど、後ろから見ている限りでは結構みんな静かに感動に打ち震えているのか、そこまでワーキャーという感じではなく、立ってノリノリな人は確認できるくらいな感じで、特に前半は曲と曲との間に変な静寂が生まれることもあった位。結構アメリカ人の人が「アリガトYMO!」とか「ハルオミー」などと叫んでいたので、私も静寂の隙を突いて「ほそのさーん!」と叫んだら「HOSONOSA~N!と黄色い声も飛んだ」とレポートに書かれていた。爆笑。ホソノさんの耳に届いたかしらん。実はこのコンサートの2ヶ月ぐらい前に、ベースをしょった細野さんが登場するという変な夢を見たので、まさかサンフランシスコで本物を目の前にできるなんて。あれは正夢だったんだろうか・・・。アンコールは幸宏さんの歌うCUEに東風。夢のような時間はあっという間に過ぎていきました。


その後メンバーのTweetでシェパニーズにご飯に行ったという情報に興奮したり、幸宏さんがポストした「坂の上の小さな静かなホテルに泊まっている」という一言と、部屋の窓の外から撮ったという1枚の写真で友達とともに泊まっているホテルあっという間にを特定するなどストーカーまがいな(?)行為もしてみたりと、YMO熱は冷めやらず・・・・。YMOのみなさん。体に気をつけて、長生きして、またサンフランシスコに来てください。そしてホソノサン、大好きです!!時を飛び越えて、世界の外じゃないけど日本の外で(一方的にだけど)会えたー!