愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

絶やすな大阪の伝統!〜白スーツ〜

新幹線から降りた京都でも、そして奈良・大阪でも、少し気になったのが、関西弁の関西弁度が結構薄れてきているんじゃないだろうか・・・ということだった。

以前は電車に乗っていても、乗客が話す関西弁独特の周波数で車内が満たされていて、そこで私や弟がちょっとでも東京弁をしゃべると、東京弁のイントネーションがその空気をうちやぶり、あきらかに浮きまくるため、車内の乗客にまじまじと注目されることさえあった。その視線は、「このヨソモノめ」というような、攻撃的なものさえあったりした。

しかし今では東京弁を話していてもぜんぜん違和感がないどころか、東京弁で話している人も多いではないか。「あのさー、○○でさー」などと言っているので、関東から来た人かと思いきや、次のセンテンスでは、急に関西弁にスイッチしたりする地元っ子。なぜだ。特に同年代の子供達に、あれだけ痛い視線を投げられて、こっちは辛い思いをしたというのに。

なぜかベイエリアには関西出身の知り合いが多くて、そのほとんどはコテコテの関西弁をしゃべるので、軟派な関東弁を織り交ぜてしゃべる地元の人たちは、余計に変な感じだった。やっぱり昔より関東と関西との往来は簡単になっているし、テレビの影響もあって、関東弁が入り込んじゃったりしてるんだろうか。それとも私の思い過ごしなんだろうか。実際のところ、どうなんでしょう。


しかしそうはいっても、道行くおっちゃんおばちゃん達は相変わらずこてこてで、これまた耳を澄まさなくてもよく聞こえるほどの音声で会話するので、耳に飛び込んでくる会話を聞くのがなかなか面白かった。

大阪のおっちゃんおばちゃんの会話は、ちょうど、音量的にも雰囲気的にも、チャイナタウンのおっちゃんおばちゃん達に通じるものがあるように思われる。チャイナタウンを通過するたび、あれだけの大音声で、興奮したように彼らはいつも何を話しているのだろう、ぜひ知りたいものだ、と思い続けていたため、逆に大音量の会話が、自分の通じる言葉として耳に入ってくるという経験は、なかなか面白かった。


チャイナタウンに行くと、いつも旦那に路上のあの人たちは大声でいったい何を話しているのか、翻訳を依頼することがあるのだが、旦那はめんどくさそうに、「大したことはいっていない」「何かの値段のことをいっている」などと一言で片付けてしまう。あれだけ大量の言葉を吐き出しているのにそれはなかろう、と思うのだが、言葉の冗長性に関して言えば、大阪弁、というか日本語も大して変わらないようだ。

箕面の山道を行くおっさん集団は、「ヤマメと鮎の区別はつきにくいが、鮎のほうが顔がかわいらしい」という一点だけを5分ほど延々話あっていた。彼らがいったい何をそんなに真剣に話し合っているのか、旦那に翻訳を依頼されたが、それ一行しかやはり言えなかった。旦那は「そんなん食べたらどっちも同じではないか」と英語でオヤジ達につっこんでいた。

また通り過ぎた別のおばちゃん集団の中から、「・・・悪いやつのほうが、爆破したがってるねん」という声が聞こえたときには耳を疑ったが、おそらくダビンチコードの前編となる映画Angeles and Demons の話をしていたと思われる。チャイナタウンのバスや八百屋の前で叫んでいるおばちゃんだって、もしかしたらダン・ブラウンの小説や、オバマの経済政策についてつばを飛ばしながら話し合っているのかもしれない・・・と思えた瞬間だった。


箕面の山道沿いにあった古い古い旅館。昔は、千と千尋の神隠しにでも出てきそうな雰囲気をかもし出していたが、いまどきありがちなおされなカフェに改装されて、ロコモコやらタコライスを出す店になっていた。


DSC09164

DSC09196

DSC09199

DSC09198

DSC09202


ここでちょっと、一休み。箕面の地ビールなんていうものまであった。しかし窓からは、白の上下のスーツで決めた男と、アニマル柄のミニスカートにハイヒールといういでたちのカップルが、滝を目指して登山しようとするのが見える。とても大阪らしいものを見たような気がして、少しうれしくなった。その金のヒカリモノを猿に取られるなよ・・・とそっと窓越しに見送った。