愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ボンジョンボビ


小中学生だった80年代、日本のアイドルにはあんまり目もくれず、FENやFMラジオから流れてくる洋楽を自分の部屋で一生懸命聴いておりました。CDを買うお金もそんなに無いし、それにまだ当時はCD買いに行くにも、電車に乗って一駅先に行かないとなかったような時代だったような気がする・・・なのでラジオで曲がかかると一生懸命テープに録音して、コレクションを増やしておりました。カセットのラベルとかも自分で作っていたなあ。実家に帰ったらまだどこかにあるだろうか。特に「アメリカン・トップ40」という番組を一生懸命聴いていて、当時アメリカではやっていた曲を覚えたり。ジョージ・マイケルが大好きだったので、つたない英語でファンレターを送ったこともございました(恥ずかしい)。返事は来なかったけど、ファンクラブ入会のお知らせが送られてきたっけ・・。


ジョージマイケルのほかに一生懸命聞いていたのは「ヘア・メタル」!ヨーロッパとか、ポイズンとか、モトリークルー、そしてガンズとか・・・いまいちそれが何かよくわかっていないお父ちゃんが、アメリカに出張に行く度に怪しいメタルのTシャツや雑誌などをお土産に買ってきてくれていたなあ。今思うと、典型的なジャパニーズ・サラリーマンがそんなものを買っている姿はかなり滑稽だったに違いない。お父さん、ありがとう。


そして当時の流行りはやっぱり何といっても「ジョンボンジョビ」!!!ちょうど「Bad Medicine」とか、アルバム「ニュージャージー」の曲がチャートに入っていたときで、音質の悪いラジオの録音(多分小林克也のいらいらするようなDJ入りで)を、ウォークマンでもって何度も聴いていたっけなあ。


そんなニュージャージー重要文化財、ボンジョヴィさんご一行も、50代に手が届こうかというお年頃。あの大きな頭でマイクを振り回してかけずり回って歌っていたあのボンジョビが・・・!そして、そんな彼らのコンサートに集まってきた人たちは、服装こそスキャンキーだけれど、見るからに平均年齢高そうな集団ばかり。80年代の青春時代を思い出すかのように、モレットヘアーに皮パンツ、腰にはバンダナをぶら下げているおっさんから、親子連れまで。


最近はちょっとカントリー風の曲も多いボンジョビさんだけれど、「You Give Love A Bad Name」になって観客総立ち。隣に座っていたのは、ひげを蓄えたすし屋の大将みたいなもっさいおっさんと、へヴィメタTシャツをきたガリガリ・シワシワのポニーテールのおっさん(もう60近く?)。観客の年齢層も全体的に高いので、あんまりみんな激しくは踊らない。でもおひげのおじさん、じーっとパフォーマンスを見ながらも、口はしっかり一緒に歌っていて、ちょっとかわいい。ボンジョビさんも、昔のビデオと比べたら激しい動きは封印していたけれど、2時間半ぐらいぶっ続けで、あれだけのパワーで歌い続けるのはさすがプロ。ちょっと昔のエアロビ風、でもきびきびした動きでステージプレゼンスも抜群。昔はライターかざして歌っていたけれど、お客さんはみんな携帯をかざして一緒に合唱。こんなところも時代を感じさせますなあ・・・。


個人的には、ドラムのおっちゃん、ティコさんが、コンサートの最初から最後まで、「ぼ、ぼくもう駄目です!!」みたいなあっぷあっぷ顔をしながらものすごくパワフルにドラムをたたいてたのにはまりました。ステージの前面にどんどん出て行けるギターと違って、ドラムって一箇所にとどまっていないと出来ない楽器だけど、それでもひとりうれしそうに演奏しているのは格好いい!こういう職人的な人が好きです・・・。


ロックスターは格好いい、でもこれだけ曲を作り続けて、曲を覚えて、毎回これだけの質の高いアンサンブルを作り上げて、2−3時間ぶっ続けで演奏し続ける・・・これは裏で並大抵の努力と練習を積み重ねていないと、出来ないこと。でもその分、舞台の上で得られる高揚感、幸福感はなんともいえないだろうなあ。それを20年間続けているボンジョビはすごい。えらい、そしてそれが仕事だなんて、ちょっぴり羨ましい。そして、まだ10代だったころ、ただただ遠い国アメリカの音楽を一身に聴いていた自分が、歳をとってこうやってホンモノを目の前にしているのも不思議な気分。行ってよかった〜。これからもご長寿バンドとしてがんばってほしいです。