愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

 マレーシア1:クアラルンプールへ

またばたばたと荷造りをして、空港へ。空港へ向かう電車の中で、旦那はちょっとしょんぼり。日本を離れるのが寂しいのだって。そりゃー私だってそうだよ〜!でも、ぱっと飛行機に乗ってしまいさえすれば、アメリカと日本、まったく異質だけれど、自分にとっては普通になっている現実が、ぱっ、ぱっと目の前に現れてきて、そして自分がすーっとあたりまえのようにその中に溶け込んでいく感覚は不思議。また日本にいるとアメリカの現実を忘れ、アメリカにいると日本の現実をすぱっと忘れてしまう。そんな感覚が、ちょっとやめられなかったりする。なので飛行機に乗るのは大好きだ。


しかし今回飛行機に乗って向かうのはサンフランシスコではなく、クアラルンプール。初めての東南アジア。成田から南下するルートは初めてで、雲の間からぼっかりと頭を出す富士山や、三宅島を見下ろす。東京からクアラルンプールまでは、6時間。大学院卒業後、もしかしたら住むことになっていたかもしれなかった、でも結局今まで一度も足を踏み入れることのなかった、なんだか変てこな思いのある場所。到着ロビーでは、早速ベールをかぶったマレー人のセキュリティのお姉ちゃんだ!インド人の兄ちゃんだ!中国語をしゃべる集団が!黒川紀章のデザインだという空港は、近代的ではあるものの、いまいち看板がわかりづらく迷ったり。まさしく便利さと、ごちゃごちゃが混じったマレーシア体験のはじまりはじまり、なのであった。


空港から街の中心までは80キロぐらい離れていて、飛行機が街のシンボル、ペトロナスタワーを通過しておお、クアラルンプールに着いたな〜と思った後も、どんどんどんどん真っ暗なジャングル地帯の上を飛んでいくので、おーい、どこまで連れて行くんだーい、状態だった。しかしここには新幹線なみの電車が走っていて、「この電車はたったの28分でクアラルンプールに到着いたします」のであった。マハティールおじ様の肝いりで作られたのだろうな、などと勝手に想像する。近くには英語と広東語をスイッチさせてしゃべる華人の男の子と女の子。いやがおうでもここは熱帯地域です!というような草木の間を電車は走りぬけ、あーやっぱりここはイスラムの国です!というようなたまねぎ型建築も多少は通り過ぎ、電車は夜のクアラルンプールへ。


電車の中ではまあ、冷房がそれなりに効いていたので良かったが、さすがは熱帯地域・・冷房があってもやはり独特の湿気を感じて、マレーシアに着くなり私の髪はチリチリに。さらに電車を出ると・・・むぉぉぉぉぉぉあぢぃぃいぃぃぃぃぃ!!手に持った毛糸のジャケットがずっしりべったりと腕に絡まる。ここからはタクシーに乗るも、タクシーの中もろくな冷房はなく生ぬるいのであった。がたがたの車、外に広がる排ガスの香り・・・ああ、旅に出てきた〜!といつも実感する一瞬。


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予約したホテルというか安宿は、「マレーシアの銀座」ブキッ・ビンタンにあるNumber Eight Guesthouse。ウェブを見るとわかるとおり、安宿なのにめっさおされ、見た目にやられて予約してしまった。実際行ってみてもインテリアがおされ〜。ヨーロッパからのバックパッカーが多いっぽい。しかしおされであっても、やっぱり暑い!マレーシアでは一応エアコンは入ってはいるのだけれど、きんきんに冷えた部屋はあまり期待してはいけないのであった。


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予約しておいた部屋はシャワートイレ付で最上階にあるため、屋根裏部屋っぽい感じになっており、斜めになった天井がどーん!とベッドの上に迫ってくるという代物。色はおされにペイントしてあるが建物は古く、窓も無し。まあ寝られればいいやぁ、と思っていたのでとりあえず荷物を置いて晩御飯へGO!


クアラルンプールの面白いところは、おされなショッピングモールやガイジンが集うおされなレストランが集まる「マレーシアの銀座」であっても、昔ながらの、わいわいとやかましい屋台街が隣接しているところ。私たちの安宿も、一歩出ればアロー通りというクアラルンプールでは一番大きい屋台街に出る。旅の半分以上の楽しみは食べること!とりあえず屋台街に出撃〜!


しかし旅の疲れと暑さに加えてこの屋台街のやかましさ、歩道も何もあったもんじゃない道路にびゅんびゅん走る車にぼこぼこの道!私は着くなりちょっといっぱいいっぱいに。


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中華風ビーフジャーキーを焼くお姉ちゃん。


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屋台が出ている建物の2階は住居。ナンジャコリャア!


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本当にたくさんの屋台があるので、とりあえず一品いただく。マレーシアで最初にありついたのはこちら


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Rojakといって、野菜や果物をえびのペーストであえたもの。さっぱりしていて、ビールのおつまみにもいけます。


これをちまちまとつまんでいる私たちの後ろには、長テーブルに座って大騒ぎしている欧米人の親父軍団が・・・。そしてなぜかみんな似たようなアロハシャツを着用。観光客というよりは、こっちに住んでいるExpatといった感じ。うーん、まさか・・・・と思っていると案の定、やつらが歌いだしたのはハッシュの歌・・・!まさかマレーシア到着2時間以内にハッシュ・ハウス・ハリアーズのメンバーに遭遇するとは!


おばかなジョギングクラブハッシュハウスハリヤーズの発祥地はもともとクアラルンプール。1920年代ぐらいに、当時ここに住んでいたイギリス人の人たちが始めたのだとか。じゃあ一度ここでもハッシュに参加するかなと思って調べたのだけれど、クアラルンプールハッシュはMale Onlyなのですよ!女性は参加できないみたい。まさしく、植民地時代の「クラブ」の名残なのではという感じで、えー、と参加は断念したのだけれど、まさしくそこではソーセージパーティーが繰り広げられていたのであった。みんなビールっ腹でとてもランナーには見えなかったぞ・・・。


次に向かったお店は「牛記」という麺の店。おっちゃんがたらいに麺をどかっと入れて、びちゃびちゃの道路の前でがんがん麺をゆでているような店。ここのビーフボールスープヌードルは美味くて、マレーシア滞在中2度食べにいった。お父ちゃんと、ものすごく愛想が悪いおばちゃんなどの家族経営らしい。おばちゃんは注文したいんだけどといってもうるさいねっ、みたいな感じで無視してくれるのが笑える。結果おとうちゃんが麺をゆでたりお客の注文を聞いたりできた麺を運んだりとせっせと働いている。麺は「ドライ」と「ウェット」を選べる。「ウェット」にすると、普通にスープに麺が入った物が出てくるのだけれど、「ドライ」だとスープと麺が別々。これが濃くってすごく美味い!!時差ぼけ(日本滞在中結局取れなかった)と暑さでぼんやりした頭にもこの美味さはしっかりインプットされたのであった。


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この後安宿のベッドにばたんきゅー。しかし目上にせまりくる天井、さらに外からはなぜかものすごい勢いで爆竹の音が聞こえてくるため、なかなか寝付くことができない。しばらくしてようやくうとうとしたと思うと、今度はものすごいスコールが降ってきた!屋根裏にある私たちの部屋、屋根はトタンなのか?天井の角度も手伝って、本当に顔の上ぐらいの高さで、雨が屋根にあたるものすっごい音がする。しかも雨足はこれって台風じゃ?というくらいに強くなり、ざーざーどころではなくばたばたがんがんとお祭り状態に。お、おもしろすぎる・・・と笑いながらもまたうとうととしていたら、私の顔面に水がぽたっ、ぽたっ・・・


��( ̄□ ̄;)!!うおー、つめたっ!あ、雨漏りですかっ・・・・!!!


そんな感じでマレーシアでの第一夜は更けていったのだった・・・