愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

日々漠然とせず


家にある白洲正子の本を2冊、続けて読み返しました。その中の一冊は、「白洲正子自伝」。最初のころは、そのすごい暮らしぶりやモダンさに、すごい、すごすぎる、という感想が先に立ち、でもご本人が自分がどんなに漠然と日々をすごしてきたかをさらすのは恥かしい、だから日記もつけない、過去も振り返らない・・・そんな私が恥を忍んでこれを書きます・・と、卑屈なまでに謙遜するのが不思議で仕方ありませんでした。でも何度か読み返して見ると、自分が年をとったのもあるのかどうか、仰る意味が良くわかるような気がしてきます。


充実しているとは思っても、楽しいと思っても、それが生きているうえでの時間を埋めていくためだけの楽しさ、忙しさであるならば、ゴージャスなパーティーであってもそれはいつか終わってしまってそこには何も残らない。毎日何やかんやと、おばかなことをして楽しんでいる陳家ではありますが、最近、日々漠然と暮らしているなあという感も否めず。


色々なものを見て、経験して、やってみて、わあわあとエネルギーを外に外に出すのも良いのだけれど、そういうものを自分の中でじっくりと消化して、こつこつと何かを積み上げて、そこから自分なりの何かを生み出す内向きのエネルギー、こだわり、そして集中力・・・。そういうものが最近ちょっと欠けている気がします。


そういう意味でも、骨董も民芸もよくはわかっていないけど、白洲正子の本に出てくる職人さんには、憧れます。そして海外でゴージャス生活を送った白洲正子より、お能にのめりこみ、日本文化にのめりこみ、それを文章という形で残していった白洲正子のほうにも、憧れます。


美味しいものばかりいただいていても、いただいてばかりでは消化不良にもなるし、心も体もぶよぶよになってしまいそう。それを自分なりに消化して、そこから薫り高い、黄金の運子を生み出していけたらどんなに良いか!


人生に与えられた時間は決まっていて、あとはそれをどう使うか。自分の中の優先度、集中するべき部分を、もう一度考え直さないといけないなと思う今日この頃です。好きなことだけをやってごはんを食べていける人は、やっぱり特別幸せですね。


そういう意味で私が最近羨ましいのはこのお方。


A Cook's Tour: Global Adventures in Extreme Cuisines

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世界を旅して、料理をして、世界のものを食べて、そして文章を書く。これに音楽がついてきたら、もう言うことは無し!