愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

イスラエル⑮ 走る・お祭り・考える


中東でもできたらハッシュに参加しようかなー、砂漠を走ったりして面白そうだし・・・と私たちは一応旅支度の中にランニングギアを忍び込ませていました。早速エルサレムでも早朝ジョギング。し、しかし・・・



うほうほうほっ、ごほごほごほっ!!!


空気、悪っ!!!


カリフォルニアのきれいな空気に甘やかされた肺には、この暑さと排気ガス攻撃はかなりキツイ・・・・。結局この旅の間、走ったのはただ1回のみでした・・・。


同僚のイスラエル人Iちゃんが教えてくれたお勧めスポット、イェミン・モシェ。旧市街を南下したところにある最初のユダヤ人居住地です。その昔、イギリスから来たお金持ちユダヤ人のおっちゃんが、みんな〜、旧市街の外にも移り住もうよ!といって建てた小さなエリア。今では風車が建っていたり、お花がいっぱいの高級住宅地のようになっています。


Yemin Moshe 2

Yemin Moshe


イェミン・モシェからエルサレムの東側を望む。向こう側に見えるのは、ユダヤ人とアラブ人地域を分ける人工的な壁。ユダヤ人エリアは住宅地にも緑がいっぱいだけれど、壁を隔てるとあっという間にそこは土色。この壁はアラブ人の村のど真ん中を通ったりして、アラブ人居留地をもぶった切っていたりする。このため、この壁の目的や効果は一体?!と、ユダヤ人の間でも物議をかもしているそう。どちらにしても、この壁の存在、そして壁一枚隔ててあまりに大きく変わる住環境の差は、何千年も続いているこの問題を目に見えるわかりやすい形でどん!と見せ付けるものだった。


The wall


この後、さらにIちゃんのお勧めスポット、「ジャーマン・コロニー」へ。閑静な住宅街と、それにくっついてちょっとおしゃれなショップが並びます。まるで田舎版のニューヨークにいるみたい。ここは西洋の一番端っこなんだなぁ・・・。


私たちがイスラエルを訪れていた週末は、丁度ユダヤ教のお祭り「Chavout」が始まるところでした。これは「七週の祭り」といって収穫祭であると同時に、シナイ山ユダヤ教の教典を受け取ったことを祝うお祭りなんだそうで、途中通り過ぎた映画館の前では、地元の子供たちが歌い踊るイベントをやってました。ユダヤ文化の楽しいところは、歌や踊りがいっぱいあるところかも。私たちの友人たちもよく歌ったり踊ったりする。


Chavout

chavout2


帰ってきてからIちゃんにこの写真を見せたら、イスラエルでもなかなか最近ではこういうちゃんとしたお祝いを見ることができないそうで、たまたま通りかかった私たちはラッキーだったみたい。そういえばテレビの取材も来てた。


エルサレムには、お知り合いのEさんBさんご夫婦が住んでいて、この日サバスのディナーにも招待してもらった。もともとニュージャージー生まれニュージャージ育ちのお二人は大人になってから「イスラエルに住もう!」と移住してきたアメリカ生まれのユダヤ人。だから二人とお話していると、急にニュージャージーに戻って気のいいユダヤ人夫婦の家に遊びにきたような変な錯覚に陥る。でもここは、フレンチヒルと呼ばれるユダヤ人入植地なのであった。私たちよりちょっと年上の3人のコドモたちはみんなイスラエル生まれのイスラエル育ちで、英語もアメリカ人みたいにしゃべるが普段はヘブライ語。孫たちも英語はわかるけど、それはおじいちゃん、おばあちゃんたちの言葉であって、必要以外のときはずっとヘブライ語できゃーきゃー。おばあちゃんに「こら!英語で話しなさい!」と怒られていた。いや、いいんですよ〜・・・。


Chavoutのお祭りの時には、何でもチーズなどの乳製品を食べるのが決まりなんだとか。ホテルのお姉ちゃんからチーズケーキなんかを手土産に持っていくのがよいときいて、近所のベーカリーから調達したものを持っていった。家にあるろうそくに火をつけて、小学校4年生ぐらいの孫が教典からヘブライ語で一節を読み、みんなで「アーメン」といってからディナー開始。メニューはKnish(クニッシュ)と呼ばれる、チーズなどをクレープのような皮で包んだ東ヨーロッパのお料理や、普通にサラダやパスタなど。通信社の支局長だったBさん、今は悠々自適に色々本を書いておられて、新しい本のアイデアについて話し合ったり、ワールドカップやあげくにはブランジェリーナ(ブラッドピットとアンジェリーナジョリーね・・・)の話題になったり、どうしても同族内で結婚してしまいがちな保守的ユダヤ人の人達は、ハイテク技術を使って適齢期の人達のDNAデータベースを作って健康な種の保存に努めているのだとか、堅い話からおバカな話までワイン片手に楽しい夜をすごした。


アラブ人地区にも近いこのエリアに住む彼らは、自分たちがアラブ地区に行くことはないものの、彼らがATMや公園などを利用しに自分たちのエリアにやってくるなどの交流はあり、やはりあの壁の存在はばかばかしいと思っているらしい。なんだかんだいうけれど、もうこうやって共存は進んでいるのだから・・・と。もちろん昔からここに住んでいたアラブ人にとってはまた見方は違うだろうけど、ふーんなるほどなぁと思ってきいていた。いままでイスラエルパレスチナ問題はあまりに歴史がありすぎて根が深すぎて、しかも自分の生まれ育ったところとはあまりにもかけ離れたところにある場所の問題だったから、いまいちピンと来なかったのだけれど、1キロ四方ほどしかない旧市街の中で折り重なるようにして共存している彼ら、そして壁で隔てられた彼らの居住地、ここは人工的に作られたアメリカ・ヨーロッパ?と思ってしまうようなユダヤ人エリアと、砂漠のど真ん中にあるアラブ村の差などを見ていたら、何となく感覚的にだけだけど、うーむ、こういうことだったのか・・・・と少しは実感した・・・と思う。


ユダヤ人の友達は怖がってアラブエリアには行けない、とか言っていたけれど、アジア人である私たちはどちらの側にとっても他人であるから、あまり気にせずにどこにでも行ける。昔、私は日本が思い切り当事者であるイシューに取り組もうとして、でもそれってどうしても利害を考えたり相手のバイアスがあったりして、どうしても物事を「フェアー」に進めることが難しくて、感情的に非常に疲れて混乱してしまった、ということがあった。結局その後、この問題は、自分たちには利害がない北欧人とかが取り組んだほうがいいし、そういう人達が担当に選ばれる傾向にある、ということがわかったのだけど・・・。逆に私はイスラエルにもパレスチナにも思い入れはないから、これは当事者でないものの入り込みやすさ、というのはやっぱりあるのだろうな・・・ということがようやくわかった。この問題にそんなに興味がなかったのは勿体ないけれど。でも今後、この場所に足を踏み入れたからこそ興味が沸いてくる・・・沸いてきた・・・気もする。はまるとちょっと怖い分野の話ではあるけれど。


Chavoutのお祭りでは、ディナーの後、みんながそれぞれのシナゴーグに赴き、夜明けまでトラ(経典)を読み解くのだそう。そしてその後みんなで大挙して嘆きの壁に行き、お祈りをするのだそうだ。それは何万人にもなるらしい。壮観だから、夜になったら見に行きなさい、とのお勧めに従い、明け方に行くのはあまりに辛いので、真夜中ごろにエルサレム旧市街に戻ってみた。この夜ばかりは、アラブ側にあるダマスカス門からもユダヤ人がどばーっと入り込んでくるのだそうだけれど、真夜中ぐらいでは思ったよりも人通りは少なかった。でももみ上げクルクル、真っ黒なコートを着て大きな毛皮の帽子をかぶった保守的なユダヤ人たちや、家族連れやらが、まるで神社の盆踊りに行くような感じで嘆きの壁に集まっている。ユダヤ人地区のシナゴーグにも明かりがともり、長テーブルを出してみんなでご馳走を食べている。空には大きな月。昼間、内外の観光客で騒がしかったのとはまた違う、にぎやかさの中にも静けさのある、とてもいい夜だった。