愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

遅ればせながら&紅白の思い出


年明けの1日は友達と遊びまわっていて、あまり大晦日、お正月気分という感じではありませんでした。やっぱり大晦日はこたつで紅白を見て、そのあとそばをすすりながら行く年来る年を見ながらそわそわしだし、新年あけるとどーん!と近所で大砲(?)の音が鳴り、おめでとうございます・・・とご挨拶して、寒い中に近所の神社に初詣・・・というのがお決まりでした。


遊びに来ているはういーとガールフレンドに朝ごはんを食べさせ、外に遊びに出した後、冬休みの最後の一日なので、ダンナと一緒にお掃除お洗濯晩御飯の買出し。そして子供たち(笑)が帰ってくる前にちょっと一休み。録画しておいた紅白と行く年来る年をいまさら見ています。進行もベタですけど、これはこれで、これを見ないと年を越した気になりません(笑)。今年日本でどんなものがはやったのかもよくわかるし・・・。


紅白といえば、昔々、一度だけNHKホールで観客としてみたことがあります。父がどこからかチケットを2枚手に入れてきて、当時中学生か高校生だった私と弟と二人で見に行ったのでした。チケットは、チケットというより葉書。並んでいると、アイドルお目当ての若い女の子が、ホールの周りをうろうろしていて、チケットあまっていないかと懇願するのには弱りました。座席は、ホールに入るそのときに抽選で決まります。なので早く行っても前に座れるとは限らない・・・。もちろんくじ運の悪い私と弟は、最上階の席をあてがわれてしまったのでした。


入場したとき、プラスチックのバッグに入ったペンライトや小道具を手渡され、そして番組の前にちゃんと前説の方(若手の落語家さんでした)が来て、使い方の説明がありました。その脅威の小道具とは、①ペンライト2本(谷村信司の時など、決まった歌手のときには必ず使うよう指示)、②紅白の軍手。白い軍手を手にはめて、手をひらひらさせ、はい鳩〜。赤い軍手を手にはめて、両手を合わせて、はいお花〜・・・、寒かったです、③司会者の似顔絵(誰か忘れました・・)が入った片面紅、片面白の大型内輪。最後の審査の時に、どっちのチームが勝ったと思うか、観客席からどちらかの面を掲げて意思表示をすると、それを日本野鳥の会の皆様がカウントしました。はっきりいってどっちでも良かったので審査せよといわれて困りました(笑)それから、番組の途中でスペシャルゲストで谷啓さんが来て、そのときはお客さんは一斉に席を立ち、一緒に「がちょーん」をやらされました。もちろん本番前に、真剣に練習をいたしました(笑)


誰が出たのかもあまり覚えていないのですが、トップバッターが今は懐かしい「久宝留理子」で、すっごく小さかったのを覚えています。あとSMAPがすっごい最初のほうで出ていた記憶があります。私たちの隣にはOL風のお姉ちゃんがいたのですが、ジャニーズ系の人たちが出てくるたびに写真入りのうちわに横断幕を持って立ち上がり、鼓膜をつんざくような声を出し、どすどすと飛び跳ねるので、非常に迷惑でした。しかし何しろ座席が抽選制ですので、歌手によってこうやって局地的に盛り上がっているお客さんがいるのはなにやらこっけいでした。あとオルケスタデラルスが出ていたのと、双眼鏡でのぞいていたら、ドリカムの兄ちゃん(まだがんばっているほう)と目があった!というのが印象的。


面白かったのは、やはり紅白はテレビ番組ですので、観客はあくまでも雰囲気作りの一環としてそこにいるんだなーということがわかったこと。舞台を見ていると、テレビに映っていないところでスタッフの人たちが右往左往していたり、カメラに移りそうになってあわてて隠れていたり、歌手の周りをクレーンのカメラがぐるぐる回っていたりして、テレビで見るのとは大違いでした。さだまさしさんにいたっては、曲の歌詞を覚えていなかったらしく、足元に大きな模造紙に書いた歌詞カードをおいて歌ってました(笑)。小林幸子の衣装はほとんど「建築物」で、大きな舞台装置に本人の顔が豆粒のように埋まっていて、あとどこからかマイクを持った手がにょきっと出て、そこだけが動いている・・・という不思議な光景でした。


NHKニュースの時間にようやくトイレ休憩が出来た気が。その前後どうしていたか記憶がないのですが、後半は演歌ばかりで眠かったです。紅白が終わってからは・・・舞台でカウントダウンをしたのかな?そこらへんも覚えてないです。ホールから出てきて両親と合流したら、父親が「そこで松本明子が電波少年やってたぞ。水着で立ってて寒い寒いといっていた」といったのが妙に衝撃的でした。そのあとなぜか表参道にあった「エルポヨロコ(当時はものめずらしかったが、アメリカではただの安っぽいメキシコ料理チェーン)」でご飯を食べ、明治神宮におまいりに行きました。ものすごい混雑振りで、境内に着いたのは夜中の2時とかだった気がします。気合をいれて投げたつもりの賽銭は、前にいた若者グループの後頭部に打ち付けられ、ほうほうの体で帰宅したのは明け方。そしてその冬休み中は、国内にいたにもかかわらず、ずっと時差ぼけに悩まされたのでした。


さて、思い出話はおしまいにして、子供たち(はういーと、ガールフレンドAちゃん)が戻る前に、晩御飯の準備に戻りましょう・・・