愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

Rちゃん


5年間がんと闘ったRちゃんが亡くなって1ヶ月経つ。ダンナの友人の奥さんとして知り合って、それほど近しい仲というわけではなかったけど、一緒にご飯を食べに行ったり、結婚式にも来てくれた。


彼らが結婚して1年しないうちに癌が見つかって、あとはずっと闘病生活。私たちが会うときは、いつも調子のいいときだったし、とても元気そうに見えたし、病気の話は極力しないようにしていたので、どんな壮絶な闘いがあったか、想像することもできなかった。お医者さんの尽力で、持って数ヶ月というところを、転移を繰り返しながらも、何年も生きることができたから、それはよかった・・・とN君は言う。でもまだ若い彼女が、今までずっと死に立ち向かいながら文字通り病気と闘っていたこと、そして同じ年代の彼が妻を亡くし、一人残されたこと・・・そういうことが起こったということが、釈然としないというか、いまだになんだか解らない。もう2週間しかもたないかもしれない、という知らせをきき、そしてそのあとしばらくして、彼女の死のニュースを聞いたときも、悲しいとか、涙が出るとか、そういう気持ちではなく、あぁーーーー・・・と言ったとたん言葉がでず、ダンナも私も、それ以上そのことを話す気にもなれなかった。


彼女はニュージャージーの生まれ故郷でお墓に入ったそうだ。ご存知のように、アメリカは土葬である。2週間前、東海岸に飛んだ帰りの飛行機の中で、ふと、病気と闘い終えた彼女がニュージャージーの土の6フィート下に、そのままの姿で埋められている・・・もう彼女に会うことはできないけれど、疲れ果てただろうそのときの姿のままで、そこにいる・・、でもきっとお化粧をして、好きだった服を着てるんだろう・・・と思ったとたんにうっときてしまった。残された人は命がある限り、もがき苦しみながらも、周囲の助けや支えも借りながら、生きていくでしょう。でもここからいなくなって、特別な人になってしまったRちゃん。彼女がなくなる1ヶ月前に書いたブログを読んだ。お医者さんとお父さんと、これからのことについて、次のステップはないことについて正直に話し合いをしたこと。病状や治療のこと、すごく淡々と書いてある。でもまだ若い、まだReadyじゃない、他に手段がある限りあきらめない、まだ36歳だし、と。遠く離れているとはいえ、彼女が生きている間に、もっと会いに行けばよかった、彼女だけでなく、N君もサポートすればよかった、もっと連絡すればよかった、お葬式にもいけなかった。いまさら自分の日本語のブログにこんなことを書いているのもおこがましい気もするくらい、後悔の気持ちもいっぱいある。楽になったのか、どうなのかもわからないし、その気持ちを聞くこともいまさらできない。でもまたいつか、きっとどこかで少しでも会いたいです。