愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

サンフランシスコのチャイニーズ


サンフランシスコに到着してから、旧知の友人に「チャイナタウンに行った?」とよくきかれる。サンフランシスコというとやっぱりチャイナタウン、ということになるらしい。でもまだ残念ながらサンフランシスコのチャイナタウンの飲茶は食べてないのです。9年ぐらい前にこっちに移ってきた両親は、サンフランシスコのチャイナタウンが怖いんだそうだ。ニューヨークのチャイナタウンよりごみごみしてないし、きれいなのに、よくわかんないねぇ。まあ、慣れなのでしょうけれど。サンフランシスコのチャイナタウンは、ニューヨークにまして大きくて、古い。チャイナタウンだけでなく、より太平洋に近いリッチモンドやサンセットにも、チャイニーズ系の店しかないようなエリアがあって、そっちのほうには、両親のお気に入りのティーラウンジなどがあって何度か行った。でも彼らいわくおいしいチャイニーズの店は、チャイニーズ人口がこれまた多い郊外のほうが多いらしい。都市の中にあるごみごみしたチャイナタウンは、はじめてアメリカに来た移民にとっては最初に到達する地であり、また何世代もここでレストランやら不動産やらを経営して定住してきたようなコアなチャイニーズアメリカンの地ではあるけれど、移民第一世代ではあるが、アメリカ生活が40年ほどにもなった両親にとっては、そんなところは卒業して、より静かな郊外のチャイニーズコミュニティのほうが安心・落ち着くのだろう。同じチャイニーズアメリカンといっても、色々な層や特徴があって見ていて面白い。


それにしても、東海岸から来たものとしては、どこに行ってもアジア人だらけ!ということがものすごく珍しい。バスの運転手も、スーパーのレジも、郵便配達も全部アジア人(おそらくはチャイニーズアメリカン)だったりするのだ。大体DCだったらここらへんの仕事はアフリカンアメリカンの人が多かったと思う。そして誤解を恐れずにいうと、SF在住の、私たちの両親や祖父母ぐらいの世代の人たちが普通に英語をしゃべってる!ということが驚きだったりする。それだけサンフランシスコは移民の歴史が古いということなのだろうけど、今までの環境では、私たちの両親の代にはじめて移民してきて、そこにばあちゃんとかも一緒についてきた、という感じの人たちが多かったので、特にばあちゃんたちとは言葉が通じないし、移民の第一世代である父ちゃん母ちゃんの英語もかなり怪しいものだったりして、会話を成立させるためにはかなりゆっくり簡単に話さねば・・と意識しなければならなかった。(余談だけど、韓国かベトナムの最近の移民家族の問題として、父ちゃん母ちゃんは外に働きに出ていて子供の世話をしていられない、子供は学校に行って英語の生活、その結果家族同士でお互いの言葉が理解できずにコミュニケーションが成立しない・・ということがあるのを読んだことがある)でもここでは、昼間っから道端を暇そうにうろうろうろうろしているアジア人のお年寄りと普通に英語でお話することができるのは、すっごく不思議な感覚だったのだ。西海岸にはアジア移民が当たり前なんだろうし、これはすっごく無知な驚きであるのはわかってはいるけれど。DCに住んでいたときは、私が彼らにたいして「わ!英語をしゃべってる、すごい!」と思ったように、アジア人である私たちが英語を普通にしゃべるのを驚きで見られたこともあったから、そんな感じなんだろう。地下鉄に乗っておしゃべりしていたら、横に座っていたアフリカンのおばさんが、「あなたはアメリカ人なの?なんでそんなに英語がしゃべれるの?感動だわ!だって少なくともあなたの両親は、英語がそんなにうまくなかったはずでしょう?それなのに、すごいわすごいわ」と本気で感動されたことがある。テキサスからきた近所のおっさんにも、「ここらへんはテキサスと比べると名前が母音で終わる人が多いよね本当に(名前が母音で終わる=WASPじゃないってこと)」といわれたこともあったしなあ。それも悪気があってというより、本当にそういうところをはじめて目の当たりにして、わっすごい!と思ったことを本当に正直に口にしちゃってる、という感じだった。人種差別!とか思うかもしれないけど、でもまあ、そういう事実があるということを素直に知って驚いたというだけ、お互いを理解する上で大事なステップなのだとは思う。


でも面白いのは、チャイニーズアメリカンのお年寄りはいくらアメリカ人でもやっぱりチャイニーズフレーバーが入っているというところ。アパートを探して近所をうろうろしていたら、そこらへんでぼーっとしてた爺さんがいきなり「アパートさがしてるんか。ここに1ベッドルームがあるぞ。電話番号はXXX-XXXXじゃ」と話しかけてきた。聞くとどうやらこの爺さんの娘の不動産らしい。「家賃はな、1500ドルなんじゃ。でもわしゃ娘に1500ドルはあまりに高いと常日頃いっとるんじゃよ。あんたがたも交渉したら1200ぐらいになるかもしらんぞ。わしの名前はジョージというんじゃ。でも娘にわしが1500ドルが高いといっていたというのは内緒じゃぞ。お互いに秘密だぞ。この間ここに住んでた弁護士は交渉して値下げしてもらってからな。あんたの名前はなんていうんじゃ。ラストネームは?チャンか。そうかわっはっは」・・・・って娘の商売の足をひっぱってどうするよ!でもだんないわくこういう家族の足をひっぱるところが「チャイニーズぽい」のだそうだ(笑)


不動産といえば、チャイニーズアメリカンの大家さんのところも多い。きっと代々受け継がれてきたものなのだろう。電話すると、「その予算ではうちは貸せないけど、弟がやっているところに電話してごらん」というのもあったし、ひとつ見に行ったアパートの大家さんは、「チャイナタウン生まれのチャイナタウン育ちよ」っていう40歳過ぎの髪型も何もエイミータンみたいな人だった。多分中国語はそんなにしゃべれないだろう、でも面白いくらいチャイニーズなおばさんだ。「前はコインランドリーを地下に入れてたのだけど、近所の子供が忍び込んできて、お金を盗もうとして洗濯機をひっくり返したりして、おかげで水漏れがして損害がいくらいくら」とか、(子供が忍び込むくらいセキュリティが甘いんだろうか・・不安)といらんこともぺらぺらしゃべる。「この部屋のここに鏡があるのは風水でもいいのよ!うちの両親がいってたけど、この地形はこっち側の山がドラゴン、あっち側の海もドラゴンの形で、ドラゴンに囲まれてるからダブルハッピネスなのよ!今年は酉年だけど私もドラゴンの歳の生まれよ!だから私もきっとグッドラックを呼び込むのね・・ぺらぺらぺらぺら」・・・・ドラゴンレディーかい・・・このほかにも、「馬さん」が持っていた素敵な物件が気に入って申し込みをしたのだけれど、ものすごいバックグラウンドチェックをされたりした。ちょっとこういうパラノイア的心配性なところも、チャイニーズ・ママっぽい(笑)チャイニーズでないほかの大家さんたちは意外とのんびりした感じだったので、余計にそれが引き立っていたのかもしれないけれど・・。バスに乗っていても、ばあちゃんたちが私に一方的にどっかの地方の広東語で話しかけてくるので困ってしまう。チャイニーズを勉強しなおして損はない環境のようだ。といって本気でかかわりだすと頭の痛いことも多いので、今のところチャイニーズコミュニティにがっぷり四つに向き合うつもりもないのだけれど。