愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

Holy Cow: An Indian Adventure

私の祖父(昨日の写真とは別のじいさん)は戦前インドに数年間住んでいたことがある。もう亡くなってしまっていてあまり物心ついて話をする機会もなかったが、カルカッタからマドラスに行く列車の中はあまりに暑いので毛布をかぶり、列車の中に氷の柱が立ててあったとか、ジャマダルという名前の床掃除専門の使用人がいて、邪魔だ!あっちゃハイ!(Very goodほどの意味)というとへいー、とやってくるとか、彼がウィスキーをこっそり失敬するのでその現場を押さえようと知恵比べ、とか、植民地時代のインドのオモシロ話が我が家には色々と受け継がれている。「涼風に昼ねをしているとジャマダルの床を掃く音がひびくなり」みたいなじいさんの書き散らした文章も家のどこかに残っていて読んだ気がする。家の引き出しを開けると鉛筆やら印鑑やらごちゃごちゃ入っている間にガンダーラっぽい小さな石の仏頭みたいなのが無造作に転がっていたりもした。小さいとき初めて見た「ガイジン」もインド人であったし、エスニックフード好きの父が持ち帰るインド料理を小さいときから食べさせられたりと、子供ゴコロに身近なガイコク、は「アメリカ」と同列で「インド」があったような気がする。


といってインドに行ったこともないし、詳しいわけでもめちゃくちゃ憧れているというわけでもない。ただなんとなく、遠い遠いところに、なんとなく接点がある場所があるようだ・・・という程度の、不思議な位置づけとしてある国。しかも自分のインドに対するイメージは正しい認識や情報に基づくものというよりはおじいちゃんのイメージとしてあるから、きっと自分がインドに今いったら、ナンジャコリャァ!!ときっとFreak outすると思う。いつかは行ってみたいとは思うけれど。


旅行は好きだけれど、自分は筋金入りの旅行者です!と胸ははれない。やっぱりキレイなホテルに泊まりたいし、言葉(英語)が通じないところに行くのは、一瞬躊躇したりしてしまう。一方で、ぼったくられないようにと身構え気をはるあまり、しつこい客引きに本気で腹をたてたりもする。旅行者なんだから、その国や人や土地に溶け込んだり、みんなと同じように扱ってくれないのは当然かもしれないのに、それに対して怒ったり悲しくなったり、違うシステムや風習に、自分が持つ常識をぶつけて本気で向き合ってしまったりして疲れることもある。短期間の旅行なのに、(自分の常識を持ち込んだまま)その土地の居住者になろうという不可能な努力をするからいけないのかもしれない。


今まで読んだインド旅行記は、インドに住み慣れた上級者で、しかも男の人が書いたものばかりで、彼らはすっかりインドに溶け込みカオスの中を平然と泳ぎ、欲しいものを見つけ、見たいものをみる、という感じのものが多く、こういうフラストレーションに触れられることは無かった。この本の著者は、バックパック旅行ではじめてインドに来て、あまりの汚さと理不尽さに正直にFreak outし、あげくに帰りの飛行機が飛ばずに3日間空港に缶詰になり、憔悴しきった中で小銭をせびるトイレ掃除の汚いおじさんに無理やり手相を見させられ、「あなたは愛のために必ずインドに戻ってきなさるね」といわれ、「こんなとこ二度と帰ってくるか、ファッキュー!」と中指たてて後足で砂をけってインドを後にしたような女性。しかし婚約者のジャーナリストがインドに転勤になり、結局「愛のために」仕事をやめ、彼を追ってインドにやってきてしまう。あのおっさんは正しかった!


彼女自身もテレビジャーナリズムでそれなりに成功してきた人だったらしい。さすがにオーストラリア人、お下品で笑えるエピソードも満載な一方、仕事をやめて彼のために来たインドで、今までの認識がひっくり返るような理不尽な経験に腹を立てたり、自分の存在が消えそうな不安感に襲われたりしている。道を歩けば注目の的になり、声をかけてきたり触ってきたりする変な男が沢山いて憔悴すると思えば、彼と出かけると、礼儀をわきまえた人達は、彼女とは目をあわせず、婚約者としか話をしない。特に女だからこそ味わう理不尽さにものすごく共感。でも彼女はそれに終わらず、取材で不在がちな彼をおいて、一人自分の心の持ちようを変えようと、宗教のスーパーマーケット・インドで、仏教だ、イスラムだ、ヒンズーだ、サイババだ、ダライラマだとインド各地をまわっていく。インド系ユダヤ人がいることにも驚いたけれど、後半には9・11が起こり、彼がアフガニスタンに行ってしまい、生死が危ぶまれることに。ここで彼女がインドでめぐってきたものが一つの意味として現れて、最後はちょっとだけホロリ。気取らず楽しい本でした。で、陳家はいつインドに行きましょうかね・・・??