愉快的陳家@倫敦

ロンドンで、ちょっと雑だが愉快な暮らし。

ホームシック?


アメリカに住む学生さんの日記を読んでいたら、どうやらホームシックでつらい思いをしていらっしゃる様子。かわいそうに思うけれど、ふと自分のことを考えてみたら、アメリカに来て7年、学生時代も、就職してからも、思えば家や日本のことを思って枕をぬらしたことが一度も無いな・・ということに気づいた。今ではインターネットがあるから、友達や家族との連絡も頻繁に取れるし、日本の情報も入ってくるし、日本のものもお金を出せば買えるものも多いし、昔と比べて海外生活は非常に快適になっているし、特に帰りたい!と思う気持ちはそれほど無い。私の実家はそれなりに愉快な一家ではあるので、実家に帰るとまあオモシロイのではあるが、お互いの関係については結構ドライなので、メール交換はそれなりにやっても、電話は一年に数回するかどうかといったところである。ホームシックらしきもの、といえば、小学校時代、神奈川から千葉に引っ越してきて、こんなとこやだ!前のところに帰りたい!といって泣いたときぐらいしかないかも・・・(今でも千葉は一番長く住んでいる場所だけれど、地元という気がしない)。それ以来、ヒトや土地やモノにそれほど執着が無いのか、その土地のものを食べ、その土地のヒトと付き合い、どこに行ってもなんとなく順応してやってきている。日本のあれが食べたい、日本の本が読みたい、と思うことも無くなり、無いなら別のもので代用するか、無くてもどうでも良いと思うようになってしまった。


id:zizyさんの日記に前世のことについてのお話があったけれど、小さい時から、自分は勝手に前世は騎馬民族だったに違いないと思い込んでいる。といってむやみやたらに引越ししまくっているわけではないし、多分当時やってたNHKシルクロードとかの見すぎかとも思うのだけど、一箇所にとどまるよりは、色々なところに行ってみたいと思ったりしている。といいつつ、一度腰を落ち着けてしまうと、その土地に愛着もわくし、次の場所に移動するにはそれなりにエネルギーもいるので、そんな希望を持つと同時にナマケモノでもある自分にとって、必ずぱっと身軽に動けるわけではないのだけれど・・・。でも生まれた場所も育った場所もてんでばらばらなので、小さいときからあまり「ここが家!」と思える土地が無い気がするのであった。


もちろん色々なところに大事な友人がいて、そんな人たちがいる場所が大事な場所、とも言えるのだけど、本当の友人は遠くにいても、そんなに会わなくても、会えばやっぱり友人としてやっていけるもので、場所や土地じゃないのかなあ、とも思ったり。たまに、自分は根無し草かなあ、という不安もよぎるのだけど、半年前からダンナと二人で構築しつつある愉快的陳家が、正真正銘の我が家、になるのでしょうかね。でも二人ともDCを家と思っていないので、こちらもまた、かなり今後モバイルな感じになりそうな予感です。